偉大な大統領とは

by 西 鋭夫 March 31st, 2020

ウォーターゲート


1970年代、アメリカの混迷が続いた。

その混迷に追い討ちをかけるかのように、ニクソン大統領の「ウォーターゲート」事件(ニクソンの子分が政敵民主党本部ウォーターゲート・ビルに情報を盗むために侵入してつかまり、ニクソンがそれをにぎりつぶそうとした事件)が起こり、ニクソンは任期途中で辞任。

そのニクソンに恩赦をしたフォード大統領はカーターに敗れ、カーター大統領はアメリカを激怒させた「イラン人質事件」(444日間続いた)で大失態を演じ、カリフォルニア州知事で元俳優のレーガンに大敗する。


レーガン大統領


レーガンは、「アメリカが世界一だ。どこの国にも負けない。ソ連もアメリカと競争すると破滅する」と国民に愛国心を鼓舞した。アメリカ国民はそれを受け入れ、アメリカに自信を呼び戻してくれるのはレーガン大統領しかいないと思っていた。


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レーガン大統領


事実、レーガンは彼の政策の良し悪しにかかわらず、とても人気があった。知識層は彼を「元俳優」とバカにしたが、大多数のアメリカ国民はレーガンが大好きだった。

アメリカ社会のムードが明るいほうへ変化していったのは、肌に感じえるほど顕著だった。アメリカが混迷の時代から抜け出し、新しい自信を持ち出した。アメリカが世界の覇者として再度活躍する時代が到来した、という雰囲気が社会にあふれていた。


「顔のない国」日本


日本はその当時、何をしていたのか、私は全く知らなかった。アメリカ国内で「日本」および日本関係のことは記事にならなかったからだ。誰が首相になったかも、マスコミに取り上げられない。

1960年代後半から1970年代、そして1980年代の半ばまで、アメリカがヴェトナム戦争の悲劇に苦悩し、国内が荒廃していく間、アメリカからは見えない日本、顔のない日本は、着々とアメリカ市場に輸出をし、大利益を上げた。

アメリカが1980年代の半ば、借金国に落ちた時には、日本との借金が最高額だった。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

結び/後記 富国日本の現状−20




この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。