左遷
日本の歴史を振り返ると、才能があっても、不遇の人生を送った人物がいます。遣唐使に推薦された菅原道真です。彼は非常に優秀で、日本の天才のうちの一人です。
こんな話が残っています。優秀であるがゆえに遣唐使に推薦された時の話です。当時としては大変名誉なことです。しかし彼は「唐は今、倒れる寸前でございますので」と、遣唐使をやめましょうと進言しました。実際、彼の予測は的中しまして、唐はその後、数年のうちに滅亡することとなります。
そんな優秀な男なのですが、彼は頭が良すぎてしまい、そして同時に、彼の周りは「バカばっかりだ」と驕ってしまい、自分の学閥を作ってしまった。「菅原先生の所にくっついていくと、出世ができるぞ」というやつです。それで多くの権力者たちから睨まれた。
やがては天皇の耳にも入り、「菅原め、彼は何を調子に乗っているのだ」となった。そして天皇と喧嘩です。天皇と喧嘩して勝てる人はおりません。それで今の福岡県、太宰府へと左遷されたわけです。左遷された道真の境遇は凄惨なものでした。食べ物には不自由で、寒く、風が吹き荒れる。飢えと寒さの中で亡くなりました。
怨霊伝説
道真が亡くなった後の話です。左遷に関わった藤原時平やその一族、そして天皇の周辺で、次々に不幸が起こります。さらに都では疫病や異変が相次ぎました。そして決定的だったのが、延長8年、930年に起きた清涼殿への落雷です。

天皇がおられる清涼殿に雷が落ち、火事になった。そこにいた公卿たちにも死傷者が出た。この出来事が、当時の人たちを震え上がらせました。「これは菅原道真の祟りではないか」と。道真は死んでもなお、雷となって京都へ帰ってきたのではないか、というわけです。
こうして菅原道真は、ただの不遇の天才ではなく、恐ろしい怨霊として人々から恐れられるようになっていきます。
北野天満宮
京都に北野天満宮がありますが、神社というのは何かご存知ですか。神様を祭ってあると思ったら大間違いです。私も最近習ったのですが、神社という所は、もちろん全てではありませんが、怨霊を封じ込め、お祈りをするところなのです。
それで道真の怨霊がダッと京都に来るかもしれないというので、その怨霊を鎮めるために北野に道真をお祀りした。それが北野天満宮です。北野天満宮は947年に創建され、やがて菅原道真を祀る天神信仰の中心となっていきました。そして「どうぞ暴れないでください」とお祈りしたわけです。
日本の神社はあちこちありますけれど、あれは全てが神様ではなく、人の怨霊を封じ込めているところもあるのです。ですから皆さん、誤解されないようにしてください。神社というのは神様がお住まいなのではなく、神様になるはずだった男や女の苦し紛れの怨霊がそこにおられるので、それを封印してあるのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2022年8月下旬号 出世と人事-6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

