皇国と御国

by 岡崎匡史 April 4th, 2020

blog151.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

「皇国」という言葉を、令和の日本で見かけることは滅多にありません。

そもそも、あなたは「皇国」にどのようなイメージを持つのか。
そして、「皇国」をどのように読んでいるのか?

「皇国」を「こうこく」と読む人もいれば、「みくに」とフリガナを振る人もいます。

この二つの読み方の違いは、いったい何を意味するのか?

尊王と尊皇


以前、尊王と尊皇の違いを紹介したことがあります。
幕末の志士たちは「尊王」というスローガンを掲げていた。

ところが、大正中期から昭和10年代にかけて「尊皇」に置き換わるようになった。なぜなら、国粋主義者が「尊皇」の使用を声高に主張した。

「王」は、中国古来の政治思想「易姓革命」を暗示する。中国を蔑視する当時の風潮と日本の優越性を強調したいがゆえに、「皇」が用いられるようになったのです。

明治維新と皇国


「皇国」という用語は、幕末に入ってから声高に唱えられるようになりました。

主君への絶対的忠誠や幕藩体制下での領地意識である「御国」(おくに)に対して、天皇(朝廷)を中心に日本を統一し、新たな政治体制を打ち立てる思想として「皇国」(みくに)が登場。

当時、「皇国」(みくに)は斬新な響きがあった。幕末の志士たちにとって「皇国」(みくに)とは、「尊王攘夷」と同じように求心的な価値観であり、明治維新の原動力だったのです。

しかし、「尊皇」と同じように、「皇国」という言葉は「昭和維新」や「天皇制ファシズム」の精神的基盤として乱用されてしまう。

昭和になって天皇の神格化が加速していき、教育機関や歴史学者までもが加わり、本来の「皇国」にさまざまな脚色がなされてしまった。「皇国史観」とは、「幕末に形成されてきた思想の一部分を極端に拡大」したものなのです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・飛鳥井雅道『坂本龍馬』(講談社、2002年)
・横田達雄『武市半平太と土佐勤王党』(私家版、2007年)
・長谷川亮一『「皇国史観」という問題』(白澤社、2008年)

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

人気の投稿記事

ミャンマーと北朝鮮

アジア最後のフロンティア 北朝鮮の今後の動向を予測する上で、東南アジアにあるミャンマーは一つのポイントです。ミャンマーはアジア最…

by 西 鋭夫 November 8th, 2021

中朝関係の本当の姿

水面下でのつながり 中国が北朝鮮の核実験に対して、断固反対すると声明を出しました。しかし、中国の習近平政権と、北朝鮮の金正恩政権…

ミサイル / 中国 / 北朝鮮 / 核実験 / 米国

by 西 鋭夫 November 1st, 2021

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。