昭和天皇戦犯の危機

by 西 鋭夫 May 5th, 2015

天皇退位論

天皇退位の噂が広がり始めた。

マッカーサーが1945年12月2日、天皇に近い側近3人を戦犯とした時である。

天皇の側近、木戸幸一(きどこういち)(56歳)の名がマッカーサーのA級戦犯リストに載ると、次は天皇自身か、という不安が日本国民の間に横切った。

木戸は、京都帝大在学中、近衛文麿と親交を深める。1941年10月、第3次近衛内閣が日米交渉打開に失敗した後、東條英機を首相に推挙したのが木戸だった。

天皇を戦犯として裁判にかける、というわずかな兆候だけで、日本中は大混乱に陥る精神状態であった。

「天皇裁判」は当時可能であったのか。

マッカーサーの天皇の取り扱いいかんで、日本国民の占領政策に対する反応そのものが決定しそうであった。

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国務省の策


日本降伏前、1945年7月3日、国務省はポツダム会議に臨んだトルーマン大統領に進言する。

「日本の無条件降伏、あるいは完全敗北と同時に、天皇の憲法上の権限は停止されるべきである。政治的に可能で、実際に実行できれば、天皇とその近親者たち は身柄を拘束し、東京から離れた御用邸に移すべきである」

「天皇を日本から連れ出さなくてもよい」

「もし天皇が日本から逃亡したり、あるいはその所在が不明の場合には、天皇のとるいかなる行動も法的有効性を持たないことを日本国民に伝えるべきである」

「中国およびアメリカの世論も次第に天皇制の廃止に傾きつつある」

しかし、国務省は、「天皇制廃止は問題解決にならない」とみた。「日本国民は現在、天皇に狂信的ともいえる献身の感情を示している」からだ。

国務省の勧告は、天皇を戦争犯罪容疑から外すことを意味したわけではなかった。

厳しい米国民の声


事実、占領が始まった2カ月後の1945年10月26日、アメリカ政府はマッカーサーに、「天皇ヒロヒト」は戦犯として裁判にかけられることから免れているのではない、天皇に対する裁判は、アメリカの占領目的から切り離されたものではない、と通告した。

アメリカ国民の世論調査(1945年6月29日、終戦2カ月前)によれば、「天皇処刑」33パーセント、「裁判にかけろ」17パーセント、「終身刑」11パーセントと、厳しい意見が強かった。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。