昭和天皇の処遇

by 西 鋭夫 May 5th, 2015

天皇退位のお覚悟


「大物戦犯」が次々と逮捕されていた頃、1945年12月18日、「徳川ナリヒロ」伯爵(生資料ではローマ字で Narihiro)は、事前の約束も取らずに、GHQの政治顧問事務室(Office of Political Advisor, POLAD)を訪ね、ジョージ・アチソンに面会を求めた。

「ナリヒロ」は東久邇稔彦と親しかった。アチソンとジョン・K・エマーソンが徳川に会った。

徳川は、「天皇はご退位の用意があり、当然の成り行きとしてそうする覚悟である」「東久邇宮が平和条約が結ばれるまで首相として留まることが最善の策である」と進言した。

天皇が退位された後、「東久邇しか日本政府と国民を治める人はいない」とも言った。東久邇は、陸軍大学卒業後、1920年から1927年までフランスに留学、明治天皇の第9皇女と結婚。

アチソンは、東久邇が日本の国を統治できるとは思っていず、マッカーサーとバーンズ国務長官に、「日本国民が今、東久邇宮の指導力に深い信頼を寄せているとは考えられません」と助言をした。

廃止か


アチソンは、同じ秘密メモの中で、もっと恐ろしい発言をしている。

「東久邇公の戦犯としての問題もまだ未解決であるし、特に彼がアメリカの飛行士たちを死刑にした責任の疑いも晴れておりませんので、彼は日本政府のいかなる重要な地位に就くことも適しておりません」

また、アチソンは、1946年1月7日、マッカーサーに極秘メモを書き、「私の信念ですが(アメリカの同盟国も強く要求していることですが)、問題がなければ、天皇は戦犯として裁かれるべきであります」「日本が真に民主主義国家になれるのであれば、天皇制は消滅しなければなりません。これは私の持論です」と言った。

アチソンは、自分の考える解決策が、「理想的ではあるが、天皇を裁けば、ひどい混乱を引き起こし、多くの親日家たちも、政府を維持できるだけの人物を見いだすことは不可能だ、と思っています」と理解していた。

それ故、「天皇の利用価値」につき、「我々の目的を遂行するにあたり、(天皇が我々への)助力を惜しまないことを表明し、その取り巻き連中よりは、一見民主化を推し進めたいと努力している天皇を利用するのは当然でありますが、これは、極めて慎重に取り扱わなければなりません」と勧告した。


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天皇を生かしておけ


その天皇の利用価値も危なっかしいものになってきた。

「天皇は近い将来、退位したいと思っている、と信頼できる筋から伝えられております」

天皇はなぜ退位を考えていたのか。

「外国からの強い批判に煽られ、戦犯と決めつけられるのではないかとの不安のためだと思います」「もし、我々が天皇をいつまでも利用するつもりなら、降伏の諸条件を遂行するために在位が望ましいと、天皇に伝えておくべきであります」と勧告した。

マッカーサーは、日本に上陸して僅(わず)か5カ月後、日本国民の日常生活の中で、その精神文化の中で、天皇がいかに重要な存在であるかを完全に把握していた。

天皇を死刑にすれば、日本は崩壊し、マッカーサーの統治は不可能となる。天皇は生かしておかなければならなかった。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。