自決

by 西 鋭夫 May 5th, 2015

自決とケジメ


ポツダム宣言受諾の8月14日、阿南惟幾(あなみこれちか)陸相(59歳)は、「一死以て大罪を謝し奉(たてまつ)る」「神州不滅を確信しつつ」との遺書を残し、翌日未明割腹した。「古武士的規制式でみごと割腹」と『讀賣報知』(1945年8月16日)は称えた。

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阿南惟幾


真珠湾奇襲の時に陸軍参謀総長だった杉山元(すぎやまはじめ)元帥(66歳)は、9月12日、拳銃弾を4発胸に撃ち込み自決。

啓子(けいこ)夫人は、純白の死装束をつけ、仏前に正座し、短刀で心臓を1突きし、夫の後を追った。

9月13日、元厚相、陸軍軍医中将小泉親彦(こいずみちかひこ)(62歳)は、自宅で軍刀で切腹し、さらに頚動脈を切り、自決した。

翌14日、戦犯と指名された元文相橋田邦彦(はしだくにひこ)(63歳、医学博士、日本の実験生理学の祖)は、毒薬で自決した。

同日、吉本貞一(よしもとさだかず)大将(59歳)は、軍刀で割腹し、さらに拳銃で胸を撃ち自決した。


「割腹は型通り軍刀で左の脇腹から右へ向って真一文字にえぐり、さらに上方へかぎ の手に切りあげ、終ると刀のきっ先の血汐をガーゼでぬぐいとり少しも取りみだしたところなく鞘(さや)に納め、ついで6連発拳銃で寸分の狂いもなく心臓部を貫いた、まことに武人にふさわしい見事な最期を遂げたのであった」(原文は旧かな)と『讀賣報知』(1945年9月15日)は吉本大将を絶賛した。


畏敬の念



国民は、このような自決を当然の「ケジメ」として受け取った。と同時に、自決した人たちに深い畏敬の念を感じていた。私の両親もそう言っていた。

気を良くしたマッカーサーは「追放の網」を広げ、その網は「軍国主義、過激な国家主義を熱狂的に唱道した日本人」にまで及んだ。

日本国民全員か。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。