
From: 岡﨑 匡史
研究室より
日本は第二次世界大戦で、中国大陸や東南アジア各国に戦線を広げた。
310万人を超える日本兵が戦地で戦っており、民間人を含めると620万人以上もの日本人が取り残されていた。
昭和天皇は、降伏直後の8月25日(土曜日)、帝国陸海軍人に対して復員の勅語を発する。
「茲ニ兵ヲ解クニ方リ、一絲紊レサル統制ノ下、整薺迅速ナル復員ヲ実施シ、以テ皇軍有終ノ美ヲ濟スハ、朕ノ深ク庶幾スル所ナリ」
アメリカ頼りの帰還
敗戦を知らされた兵士たちは武装解除をして、故国を目指し帰還を始める。
復員兵たちは、痩せこけ、密集した劣悪な船上で、日本の土を踏むことだけを渇望していた。だが、復員が完了するまで長い年月がかかった。
「無策」の日本帝国は、兵士を帰還させる輸送手段も戦勝国のアメリカ頼み。
GHQは、日本人の復員と引揚を積極的に推進した。
なぜなら、日本の植民地にされたアジア太平洋諸国を解放することにもなるからだ。
復員と感染症
満洲国や朝鮮からの引揚げは悲惨を極めた。
人の大移動は感染症の急増をもたらす。
GHQは、1945(昭和20)年10月の早い段階で復員者対策を練り上げ、伝染病を防ぐために厳格な規定を定めた。
復員・引揚者及び日本から送還される外国人も対象だ。日本の港に設置された検疫所で伝染病予防のため検査を受けた。
朝鮮人約59万人、中国人約3万人、台湾人約2万人、本土で暮らしていた沖縄出身者も非日本人扱いにされ「琉球人」として約15万人が沖縄に送還。さらに、南洋諸島や台湾やフィリピンにいた沖縄出身者も「琉球人」として送還された。
日本では炭鉱地がチスフの巣窟であり、炭鉱で働いていた外国人労働者(大半は朝鮮人)が移動したことでチフスの感染が拡大。
検問所は、呉、博多、舞鶴、函館、門司、浦賀、鹿児島、仙崎、下関に設立され、GHQの衛生担当官が監督指揮した。
ー岡﨑 匡史
P.S. 以下の文献を参考にしました。
・中尾裕次編『昭和天皇発言記録集成(下巻)』防衛庁防衛研究所戦史部監修(芙蓉書房、2003年)。
・浅野豊美編『戦後日本の賠償問題と東アジア地域再編』(慈学社、2013年)
・クロフォード・F・サムス 『GHQサムス准将の改革』(桐書房、2007年)
・塩出浩之『越境者の政治史』(名古屋大学出版会、2015年)
この記事の著者
岡﨑 匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡﨑 匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

