極限状態
日本の歴史をさかのぼってみますと、農作物が不作で、食糧が極端に欠乏した時期もありました。飢餓と呼ばれるものです。戦争ではありません。凶作で作物が全く獲れずに、非常に多くの人たちが命を落としました。江戸時代だけでも、寛永の飢饉(1641〜43)、元禄の飢饉(1695〜96)、享保の飢饉(1732〜33)、天保の飢饉(1833〜39)といった飢餓が伝えられています。
空腹に耐えかねた当時の日本人は、どのようにして生き残りを図ったのでしょう。皆さんが一番、聞きたくない話になりますが、日本人も、世界中の人々も飢餓に直面すると、まずは家畜を食べます。そして犬猫を、さらには山野のイノシシ、ウサギなどを食べます。それでも、食べ物がなくなったらどうなるのか。
飢餓の記録
1、2週間と何も食べないと、私たちの体は震えますし、脳に栄養が行きませんので、だんだんとおかしくなってしまいます。そんな状態に陥った人々は人を食べ始めます。
記録が残っているので読んでみました。江戸時代の記録ですが、東北から九州まで一気に寒くなり、ものが育たなくなる時があったようです。秋の収穫の1ヶ月前に、東京でも関西でも雪が降りました。稲が実らなかったのです。それで大々的な飢餓が発生しました。さて、その時、何が起きたのか。記録では次のように記されております。
10歳のお嬢ちゃんが飢えて死んだ。その家の主人はその子を火葬にせず、土を深く掘らずに埋葬した。そうすると、隣の家の人が夜にやってきて、埋葬された死体を掘り起こし、その肉を削いで食べた。骨を縦に割って髄をすすった。
餓鬼の由来
私たちは食べ物がなくなると、頭の中で何が善か、何が悪か、分からなくなってしまうのです。そうして人の肉を喰らいます。人肉を食べるとどうなるか。鬼のような顔になるのです。餓えた鬼と書いたら何と読みますか。それが餓鬼(がき)です。餓鬼とは本来、人肉を食べて、鬼になった人たちのことを呼ぶ言葉なのです。
それでもなお、身内の肉は食べることが出来ない。それは難しいのだと思います。だから人は身内ではない人の肉を食べた。自分の子どもも奥さんも食べることは出来ないでしょう。他人であれば関係ない。その死体は食べ物となったのだと思います。
西鋭夫のフーヴァーレポート
胃袋戦争(2020年1月上旬号)-2
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。