飢えとの戦い

by 西 鋭夫 December 4th, 2023

極貧状態

私たちは「飽食の時代」に生きております。テレビを見ると、グルメ番組であふれていますね。しかし、今の当たり前は、当然のことながら戦前戦後の頃と比べると大違いです。太平洋戦争、そして占領下の日本を経験してきた私からすると、今はもう涙が出るような世界です。当時は食べ物をめぐる大争奪戦が行われておりました。

戦争でたくさんの方々が亡くなられたでしょう。そうすると畑を耕す人も少ないのです。すなわち農民が足りません。肥料を作る人もいません。下手をすれば田植えのための籾(もみ)自体がないという時です。台風もやってきましたし、道路も舗装されていない。食べ物で本当に困っておりました。

私は近所のガキたちと一緒に畑を巡って食べ物探してをしておりました。夏にはトマトがどんどんと熟していきます。さつまいもも親指ぐらいの太さになっています。それらを襲撃しました。野菜泥棒と言われれば聞こえは悪いですけれど、皆さん、あの時はそこを掘ってはいけない、トマトを取ってはいけないという発想はありましたけれど、それを止めるだけの理性はありませんでした。飢えです。兎にも角にも、もぎとって、かぶりついた時のその幸せが最高でした。私だけではありません。おそらく日本中でやったのでしょう。私の周りは同じぐらいの年の5~6人のガキですから、それを皆でぐるぐると回ってやっていました。

 

今でも鮮明に覚えていることがあります。それは4歳の頃の時です。隣に住んでいた元大佐のことです。彼はいつも茶色い革の長靴を履いておられました。それから軍服のズボンを履いて、上はTシャツのようなものを着ておられました。その人がある日、自分の家の庭で唐揚げを作っておられました。私は「おじさん、その唐揚げは何?」と聞くと、「ねずみだ」とのこと。ねずみの皮をはいで、そのままベーンと唐揚げにしていました。

ところが、ものすごくおいしい匂いがしているのです。実際に美味しいのでしょう。おじさんは肉が揚がった後、箸でガッとすくって、皿の上に載せておりました。「おじちゃん、1つちょうだい」と言ったら「バカもん、ガキはあっちに行け」と言われました。「ああ、ねずみはおいしいのだ」と、その時、強烈に感じました。

 

メイド・イン・アメリカ

6歳になり、小学校1年生になった時です。1947年でした。アメリカから支給された給食が出てきました。メイド・イン・アメリカというやつです。私の年代の人はよく覚えておられると思いますが、最初に配られたのは脱脂粉乳、今のスキムミルクです。スーパーで買えますね。あれは真っ白ですが、私たちが飲んだものは船で運ばれてきて、少し時間が経っております。ですから真っ白ではなくベージュ色でした。

あれは今だったら絶対飲みません。体に悪いからです。すなわち、脂が古くなっているのです。脱脂と書いてありますが、脂肪を完全に抜くことはできません。その油脂分が古くなって変色しているのです。

それからコッペパンとスプーン一杯分のいちごジャムがありました。甘いものは貴重でしたから、誰かに取られてたまるかと、給食の時間は死に物狂いでそれを守り、味わいましたよ。それから時々出てきたのが炒ったアーモンドが5、6個と、親指ぐらいの干しりんごが2、3本でした。これが当時の給食の中身です。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
胃袋戦争(2020年1月上旬号)-1

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

人気の投稿記事

ミャンマーと北朝鮮

アジア最後のフロンティア 北朝鮮の今後の動向を予測する上で、東南アジアにあるミャンマーは一つのポイントです。ミャンマーはアジア最…

by 西 鋭夫 November 8th, 2021

中朝関係の本当の姿

水面下でのつながり 中国が北朝鮮の核実験に対して、断固反対すると声明を出しました。しかし、中国の習近平政権と、北朝鮮の金正恩政権…

ミサイル / 中国 / 北朝鮮 / 核実験 / 米国

by 西 鋭夫 November 1st, 2021

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。