荒唐無稽な分権化
日本の大学は、二度の行政再編の対象になった。
二回とも、「分権化」の名で行なわれた「中央集権」劇である。
二回とも、大騒動になる。
主役は、二回とも、CIE教育部の高等教育顧問ウォルター・クロスビー・イールズ博士(スタンフォード大学准教授)である。イールズは、1947年4月から1951年3月までCIEに在任する。
彼が唱える「分権化」というのは支離滅裂で、既に大学が持っていた運営権限を都道府県庁、または文部省に再び集中しようとするものであった。
大反発
イールズの中央集権熱は、過去の栄光を夢見てきた文部省を喜ばせた。だが、危惧を抱いた全国の大学は、団結し激しく反撃した。
イールズ提案(1948年1月12日付)では、都道府県庁が大学を監督し、教授会は何等の政策決定権を持たないとなっていた。
文部省の諮問機関、教育刷新委員会は、イールズ案のような構想には既に反対していたが、イールズは、その反対には「説得力がない」と退けた。
彼は、提案にさらなる磨きをかけ、オア教育部長に提出した。
この提案では、教授会による大学運営という特権が剥奪され、教授会が選んだ大学学長を否認する権限さえも文部省が持つことになっていた。
愚策
イールズを雇っているCIE教育部が吃驚仰天した。
「占領が始まって以来、我々は地方分権化に努めてきた。また、これをマッカーサー元帥に報告してきた。イールズ案は、全く信じられないほど異常である」
とトレイナーはオアに警告した。
イールズは、自分の提案を教育刷新委員会に提出するつもりであった。
だが、トレイナーは「もし、提出されれば、我々が大恥をかくことになるので、イールズ案を極秘扱いするように」「教育刷新委員会は、CIEが提出する勧告案を全てGHQの指令として受け取るからだ」といった。
CIEとしては、「イールズが自分勝手に作り上げた案」(トレイナーの言葉)を表沙汰にすることはできなかった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。