爆弾宣言

by 西 鋭夫 July 22nd, 2015

政治的爆弾


東久邇内閣が「政治の自由」に関しては沈黙を続け、「天皇の神聖さ」だけを強調しているのに業を煮やしたマッカーサーは、日本国民がかつて夢想だにしなかった広大な「民権」を与えると宣言した。

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エマーソンが「占領下の最初の政治的爆弾」と名付けた重要な指令である。

1945年10月4日、厚木上陸後、僅(わず)か34日目にして、大改革の命令だ。

この長文の「爆弾宣言」は、東久邇にとって決定的な屈辱だった。

アチソンはバーンズ国務長官に、「我々は、日本政府が自発的にポツダム宣言に謳(うた)われた改革に着手することを望んでいましたが、東久邇内閣は、45日間の任期中、改革に全く着手せず、マッカーサー元帥の命令によって行動しなければならないという屈辱にあう破目(はめ)に陥ったのです。この屈辱故に、東久邇内閣は総辞職に追い込まれました」と報告している。

マッカーサーは日本政府に、「思想、宗教、集会および言論の自由を妨げてきた法令を直ちに廃止し、天皇、皇室および日本帝国政府に関する自由な討論を奨励せよ」と命じた。

治安維持法の撤廃


天皇に関して自由な討論をした者に死刑を科す、と圧力をかけてきた治安維持法をはじめ16の法令の撤廃を指令し、思想統制に携(たずさ)わってきたあらゆる機関の即時解散をも命じた。

悪名高き「特高」も10月6日に廃止された。

「危険思想」の取り締まりに才能を発揮した内務省は、危険と見做され、権限を剥奪され、1947(昭和22)年12月31日に廃止された。

政治犯を釈放せよ


「政治的爆弾」は、「弾圧法令によって投獄され、拘禁されている全ての人を直ちに釈放せよ」と続く。「政治犯」を釈放せよ、との命令だ。

「直ちに釈放」は、「1週間以内、10月10日まで」

マッカーサーの決意は、最後の1行に表われている。

「この指令に携わる日本政府の全ての役人は、指令の精神と内容に厳密に従わねばならない。従わない者には個人的に責任をとらせる」。

「責任をとらせる」には、最近、日本で使われ始めた「accountable」という単語が使われている。これは義務的な責任の要素の強い言葉だ。

「accountability」も「責任」と訳す。

この「10月4日の指令」は、GHQや日本の自由主義者によって「日本のマグナ・カルタ(権利の大憲章)」と呼ばれ、日本の政治に測り知れない影響を与えた。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。