日米激戦の地
太平洋戦争時の日米激戦の地・硫黄島は、東京から約1,200km離れており、小笠原諸島の南東に位置しております。1945年2月から3月にかけて、日本軍とアメリカ軍の熾烈な戦いが繰り広げられました。日本兵約1万9,000人が玉砕。アメリカ兵6,800名、戦死。
あの戦いは「想像を絶する」という言葉がありますが、それがまさに硫黄島の戦いです。特に日本側の戦いぶりは想像を絶するものでした。アメリカ側は輸送船で武器・弾薬・戦車・火炎放射器、すべてを持ち込みました。日本側は山へ拠点に、山といってもあそこは活火山がある所で俗にいう裸のお山を陣地に、たくさんの洞窟を自然の要塞として戦い続けた。
日本側では武器・弾薬、そして食べ物がなくなると、補給路が立たれておりますので、何もなくなります。輸送船が入って来られないからです。玉砕と聞くと何か美しく、戦って砕け散るというイメージがありますが、現実は玉砕というより「助けがなかった」という状態です。日本側は完璧に負けたという世界でした。

抵抗
1945年の2月、3月といえば、もう日本本島が必死な時です。沖縄も戦闘態勢に入っています。ゆえに硫黄島は「頑張ってね。でも助けに行けません」という世界でのこと。ところが硫黄島を守っていた日本軍はこれまた想像を絶して勇猛果敢でした。その全員が、アメリカ軍の鉄砲や大砲、火炎放射器で戦死したのではありません。半分以上は飢え死。食べることができないので、免疫力が落ち、疫病にかかる、風邪にかかる、傷が悪化して壊疽(えそ)になって死ぬ。そんな悲惨な状態でした。
一方のアメリカは「この男たちはまだ戦うのか」と思っていました。アメリカでは「テイク・ノー・プリズナーズ(Take no prisoners)」という合言葉がありまして、それは「もうこいつらを捕虜にするな、捕虜にすると危ないだけだ」という意味なのですが、降参して洞穴から出てくるままに日本兵を殺しまくりました。とにかく全員、殺した。指揮官なぞ5~6人は自決されましたけれど、ほとんどの兵士は戦死と餓死、そして病死です。
硫黄の島
皆さん、硫黄島は硫黄でできた島なので、真水もありません。水が飲めないのは地獄です。隠れていますと、敵は50メートル前にいるわけです。ひょっとしたら10メートル前です。夜になると日本兵は渇きを癒すために水が欲しいので、アメリカ軍の水を盗みに潜入していくわけです。降参すればいいのに、そのような状態です。
アメリカだったらもうそこで降参です。降参して捕虜になります。日本は捕虜になってはいけないという命令が来ています。東條英機が書いた有名な「生きて虜囚(りょしゅう)の辱( はずかしめ)を受けず」というやつです。
水がない所で食べ物もない、そして相手のアメリカ兵との銃撃戦になっても弾を勘定しながら、節約しながらアメリカ兵を撃っている。向こうは機関銃で、弾など山ほど持ってきていますから撃ちまくりです。これはもう最初から勝てる可能性のない戦いでした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年8月下旬号 硫黄島の真実-1
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

