日本初の鉄道

by 西 鋭夫 April 22nd, 2024

イギリスの思惑

日本も例外ではありません。明治維新後、若いお兄ちゃんたちが最初に手をつけたのは道路と鉄道でした。日本初の鉄道は、横浜の桜木町から今の東京の新橋あたり、すなわち皇居の近くまで敷かれました。では、なぜ横浜から皇居の近くだったのでしょうか。

イギリスの影響です。あの鉄道は明治政府というより、イギリス人たちによるものでした。表向きの理由は、日本には鉄道技術がないので、その技術を伝えるということだったと思います。実際、当時のイギリスは世界最高峰の鉄道技術を持っておりました。有名なイギリス人技師たちが来て、一生懸命に鉄道事業を行い、日本に鉄道技術をもたらしてくれました。働き過ぎて死んでしまった技師もいます。

横浜から皇居近くに敷いたもう一つの理由は、いわば「脅し」です。イギリス人たちは、明治維新の男たちがやがては自分たちに反抗するのではないか、と考えていました。そのため、皇居をいつでも抑えられるようにしたのです。「お兄ちゃんたちよ、下手なことをしたらどうなるかわからないよ」と、私から見るとあの鉄道は、皇居の下腹に突きつけた槍です。


軍事政策

イギリス人たちから得た鉄道技術でもって、日本では全国津々浦々、鉄道が敷かれていきました。その主だった理由は、イギリスがそうであったように軍事的なものでした。見方を変えると、軍事的理由なくして、そんな大それたことは出来なかったとも言えます。どれだけのお金と労力をかけたのでしょうか。

古代ローマ帝国には「すべての道はローマに通ず」という言葉がありますが、日本でも当時、新政府がどこにでも軍隊を送れるよう、鉄道や道路を次々と整備していきました。

皆さん、日本列島で明治維新が起きたのは外様の地です。すなわち、四国や九州、中国といった地方から起こったのです。あれが例えば品川のあたりで起きていたら一発で潰されるでしょう。僻地での反乱は最初は小さくとも、すぐに対処しておく必要があります。でなければ、そこが癌のようになって、どんどんと増殖していきます。それを抑えるための鉄道であり、道路なのです。

 

現代社会への示唆

時代は戦後となり、米国の占領を経た日本は本格的な国土復興と社会インフラ事業を行なっていきます。しかしそれは利便性を強調したものであって、軍事的利用や防災とはかけ離れたような形で進められていきました。

現代日本の道路事業は、軍事的なことは絶対に考えていないでしょう。狭すぎです。飛行機の着陸や滑走路には使えないでしょう。電柱も電線も空が見えないほどです。日本の道路は人の移動と物の運搬がメインで作られたのだと思います。

沖縄に行かれたら気づくと思いますが、広くて大きい道路が中心部に多くあります。あれはまさに米国によるものです。何かあったときに、米軍機が滑走路に使おうと思っていたのです。電柱もほとんどないでしょう。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
国土復興と防衛(2020年3月上旬号)-3

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。