「赤い学生」の就職難

by 西 鋭夫 February 26th, 2017

第二次教育使節団


朝鮮戦争が、さらに悪化している時、第二次教育使節団(1950年8月27日〜9月22日)が、マッカーサーを支援するため、東京へやってきた。団員は第一次に参加した5人であった。

南原繁東京大学総長は、教育刷新審議会議長として、教育使節団歓迎の挨拶で、日本が直面している最も重大な危険二件について警告した。

「一つはいうまでもなく共産主義である」「もう一つは共産主義に対する反動で、ファシズム勢力の復活である」



レッドパージの必要性


第二次使節団は、マッカーサーに報告書を提出し、「極東の共産主義に対する最大の武器の一つは、日本の啓発された有権者である」と述べ、ファシズム勢力が復活する危険については一言もない。

教育刷新審議会(第一、第二次教育使節団と一緒に働いた日本側教育家の委員会)も第二次使節団と同意見で、50年9月、日本政府にレッドパージ続行を勧告し、「イデオロギー的偏向による政治活動が引き起こしている好ましくない状況をできる限り早急に改善し、教師の権威を再建する」と言明した。

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「赤い学生」の締出し


1949年6月1日、南原東大総長は、民主主義の原則を教えるために、20人の学生を停学処分にした。学生たちは再びストに入った。

CIEから出された「大学管理法」案に遠慮なく反対したことで、文部省とCIEの機嫌を損ねた南原は、これで少し威信を取り戻した。

東京大学は政府の文教予算のなかで最も大きな額をもらっており、この締め出しは政府を喜ばせた。

他の大学も東京大学の後に続いた。

主要企業や産業界は、共産主義者とその同調者を探しだし、解雇処分にし、赤い学生は雇用しないと宣言した。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。