命のビザ

by 西 鋭夫 December 12th, 2022

ユダヤ人を救え

第二次大戦中、迫害され続けたユダヤ人たちを守ったのは日本人です。ほとんど知られておりませんが、軍国主義に凝り固まった当時の日本では、近衛文麿や東條英機ほか、決して少なくない日本人がユダヤ人を助けようとしました。

ユダヤ人たちはナチスから全てを奪われ、シベリア横断鉄道を渡って逃げてくるのですが、当時の大日本帝国軍の上層部は「ユダヤ人が満州までたどり着いたら殺すなよ、保護しろ」と部下たちに命令しておりました。そして、ユダヤ人たちはウラジオストックから敦賀を経由し、日本各地へと、あるいは日本を通過点として世界各国へと渡っていきました。

日本軍が占領していた上海にも大勢のユダヤ人がやってきました。日本の領域内に逃げてきたユダヤ人は一人もケガをしておりません。殴られてもおりません。保護すべき対象として、彼らの生活も人権も守りました。

 

杉原千畝

ユダヤ人を助けた日本人の中でも特に有名なのは杉原千畝(ちうね)です。杉原はロシアを専門とした外交官でした。リトアニアの日本大使館領事代理として、ユダヤ人に対し日本通過のためのビザを発給したのです。しかもそれは、日本外務省の指示に逆らう形で行いました。

当時はリトアニアにもナチスの手が迫ってきておりました。ポーランドから命からがら逃げてきたユダヤ人に対し、ビザを発給して良いかどうかと杉原は悩みました。外務省に何度も打診するも、それは認められませんでした。

しかし、迫害された人々を救うことこそが人として正しいことなのだと、杉原は考えました。発給されたビザは、ユダヤ人たちにとって「命のビザ」になりました。

 

杉原のその後

ユダヤ人を救った杉原はその後、どうなったのか。出世どころか、路頭に迷うことになります。普通だったら「おまえ、よく助けたな」となりますが、彼はそもそも外務省命に反したわけです。

敗戦後、日本に戻ってきた杉原を待っていたのは退職勧告でした。外務省はマッカーサーのことでいっぱいの状態でした。「杉原、おまえがいると邪魔になる。アメリカもユダヤを助けていないのだからな」などと言われたのではないでしょうか。人道的に卓越した外交官がいると、占領にとってよろしくないと判断されたのでしょう。杉原は自分から辞めることにしました。

杉原には、奥さまと二人の息子さんがおりましたが、そこから非常に貧しい生活が始まります。行商人のようなこともしておりました。

1985年、杉原はイスラエル政府によって、日本人初となる「諸国民の中の正義の人」に選ばれました。杉原はその1年後、亡くなります。日本政府が公式に彼の功績を認めたのは2000年に入ってからのことでした。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
2018年12月上旬号「反ユダヤ主義」-5


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。