サイパン戦と自決

by 岡崎匡史 August 19th, 2017

From:岡崎 匡史
研究室より

8月は、どうしても終戦を意識します。

3年ほど前、サイパンを訪れました。慰霊の旅です。

書物でいくら勉強しても、南洋アジアの実感がつかめず、地理的な距離感を身体で感じることができなかったからです。日本軍がたたかった戦地に赴くことで、進まぬ遺骨収集の現場を見ることもできました。

バンザイクリフと慰霊碑


美しいサイパンの海は、米軍に追い詰められた日本人が海に身を投じた「バンザイクリフ」に代表されるように悲劇の舞台です。

2005(平成17)年に天皇皇后両陛下がバンザイクリフを慰霊のために訪問されております。
バンザイクリフの近くには、国や民間を問わず、数多くの慰霊碑が建立されている。

ラストコマンドポスト

サイパンでの日本軍最後の司令部は「ラストコマンドポスト」と呼ばれる。
「ラストコマンドポスト」は観光地化されており、多くの観光客が訪れる。

blog29.1.JPG

だが、この場所が本当の最後の司令部ではない。
実際は、ジャングルのなかに最後の司令部が置かれている。

本当の最後の司令部に向かうには、私有地を通ることもあり、現地のガイドの人に許可をとってもらい連れていってもらった。ジャングルを歩くこと15分ほど、洞窟が見えてくる。

サイパン島守備隊の指揮をとっていたのは、南雲忠一(なぐもちゅういち・1887〜1944)。真珠湾攻撃では第一航空艦隊司令長官、ミッドウェー海戦にも参戦した。

サイパンの死守を命じられた南雲忠一は徹底抗戦を貫く。
兵士に向けても「太平洋の防波堤となりサイパン島で骨を埋めんとす」と訓示をしている。
しかし、20日間にもわたるアメリカ軍との激戦で消耗し、日本兵は玉砕していく。

機密書類を燃やして破棄した後、南雲中将は2人の幹部とともに、洞窟のなかで自決をしたとされている。

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南雲中将の評価は分かれているが、忘れさられている最後の司令部の跡地をみると、喪失感にかられ、目頭が熱くなった。

ー岡崎 匡史

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

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岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。