京都事件

by 西 鋭夫 February 27th, 2017

天野批判


マッカーサーに洗脳されていたマスコミは、天野の意図を国家主義の再生だと解釈して、嵐のような批判を浴びせた。

1951年11月12日、午後一時二〇分、天皇陛下が京都大学を訪問された時、京大自治会は声明文を校門前の大きな看板に書いた。

「願 神様だったあなたの手で我々の先輩は戦場で殺されました。もう絶対に神様になるのはやめて下さい。『わだつみの声』を叫ばせないで下さい」



わだつみ会


日本戦没学生記念会(わだつみ会)は、1950年4月22日に結成された。「わだつみ」は、漢字で「海神」「綿津見」と書く。「わたつみ」ともいう。『わだつみの声』とは、「海の神様の声」のことだ。

5000名の京大生が「平和を守れ」を合唱し、陛下の空車の回りに人垣を作った。服部峻治郎京大学長(61歳)の要請により、京都市警官隊が出動し、学生たちを退去させた。医学博士の服部が、京大学長になったばかりの時であった。



痛恨の極み


京都大学は天野文相の母校であり、1931(昭和6)年から教授でもあった。恥辱の痛みは天野の心を突き刺すようであったろう。天野は、「最後の責任は私にある」と言った。

同11月17日、京大は8名の学生を無期停学の処分にした。

これは、「京大事件」と名付けられ、衆院法務委員会でも大きく取り扱われた。また、最高検察までも関与して、法務府特審局と同じように、事件の背後関係を徹底的に調査した。「全学連」が浮かび上がってきた。

328.png

京都大学



この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

人気の投稿記事

ミャンマーと北朝鮮

アジア最後のフロンティア 北朝鮮の今後の動向を予測する上で、東南アジアにあるミャンマーは一つのポイントです。ミャンマーはアジア最…

by 西 鋭夫 November 8th, 2021

中朝関係の本当の姿

水面下でのつながり 中国が北朝鮮の核実験に対して、断固反対すると声明を出しました。しかし、中国の習近平政権と、北朝鮮の金正恩政権…

ミサイル / 中国 / 北朝鮮 / 核実験 / 米国

by 西 鋭夫 November 1st, 2021

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。