吉田自由党の反撃

by 西 鋭夫 February 26th, 2017

佐藤栄作の加勢


南原の記者会見の直後、吉田の愛弟子である佐藤栄作は、南原攻撃に出た。

佐藤は、1964(昭和39)年11月に首相になり、1972(昭和47)年7月まで、7年8カ月と、日本の歴史のなかで最も長く首相としてとどまった。

1974年、ノーベル平和賞を受賞することになる佐藤は、自由党幹事長として、自由党党首の吉田首相の防衛に努める。

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佐藤栄作(左)と吉田茂(中央)


南原批判


佐藤は言う。

「南原総長が講和問題について自由な判断をするのはいいだろうが......南原氏などにとやかくいわるるところではない。もとより学問の自由を尊重するが、この問題はすでに政治の問題になっているので、ゾウゲの塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとってむしろ有害である。......学問への権力的強圧を加えるものであるとか、学問のぼうとくであるとかいうのはそれこそ学者の独善的判断といわざるをえない。政治問題について学問の立場からかくのごとき反論を出すこと自体、非民主的といわれてもやむをえまい。これは全く地位を守られている学究の徒として、その自由な立場を乱用するものであり、国民諸君も南原氏の所論には耳をかすまいと信ずる」



学者の戯言


日本政府が、東大総長の真剣な異論を邪魔扱いし、口を出すなと言える風潮の中で、レッドパージが失敗するわけがなかった。

イールズがそれを記録している。「1950年の県と地方教育委員会の403議席の選挙で、共産党候補が49人出たが......ただの1人も当選しなかった」

喧嘩はまだ終わっていない。2日後、5月8日、吉田首相は、自由党本部で記者たちに30分間自分の考えを述べた。

平和条約について話すつもりが、殆ど「南原」に費やされた。

「南原君がどういう理由で全面講和を説いているか私にはわからない。......南原君が反論しようとしまいとそれはご当人の勝手で私の知ったことではない」。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。