共産党を非合法化せよ!

by 西 鋭夫 January 19th, 2017

「団体等規正令」


GHQは反撃に出る。厳しい対策を打ち出す。

GHQの指令で、1949年4月、「団体等規正令」が公布された。

この法律で「反民主的」と睨まれた団体組織に対し、日本政府は責任者を尋問に呼び出す権利と、資料を提出させる権利を持つようになった。

朝鮮人に対しても警察が厳しい態度を示しだした。

吉田首相は、この法律に非常に満足し、その効力をより一層拡大させるため、非アメリカ的活動を取り締まるために設立されていたアメリカ下院委員会に沿って、日本国会内にも同様の委員会を設立し、「日本的でない」活動を審査することを企てたが、多くの障碍があったため、その計画を断念せねばならなかった、と回想している。

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徳田球一



追撃


1950年5月3日、憲法発布記念日に、マッカーサーは一段と攻撃的になった。

「日本共産党は......今や破壊宣伝に現を抜かし、外国の帝国主義政策の手先と成り下がり、略奪勢力の片棒を担いでいる。そのような共産党は、彼等が破壊しようとしている国家の法律の利益と保護を受ける権利があるかどうか疑問であるし、憲法上認められた政治団体として存在する理由も疑わしい」

吉田首相は、「私自身、マッカーサー元帥と全く同じ考えで、共産党を非合法としたかった」と述べた。



共産党の反撃


同年5月30日、皇居前広場でアメリカ兵四名が日本人に殴られた。この日、午前1一時50分から「民主民族戦線東京準備会」主催の「人民決起大会」が開かれ、1万5000人が参加した。共産党主催の大会であった。

日本の警察官に混ってアメリカ兵数人が、集会の写真を撮っていた。突然、喧嘩になり、アメリカ軍東京憲兵司令部のC・V・クラーク大尉、二世の通訳(テリー・山本軍曹)と2名の兵士が軽い怪我をした。

そこにいて、吊るし上げを喰っていた日本人の須藤巡査によれば、「約300名の労組員が殺到し、2人の進駐軍の人に踏んだり、蹴ったりの暴行を働いた」。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。