Mr.共産党の暗躍

by 西 鋭夫 January 19th, 2017

密告


1947年10月25日、参謀第二部長チャールズ・A・ウイロビー陸軍少将は、マッカーサーに極秘報告をする。

「日本共産党中央本部の重要人物三人の密告者と通じており、またソ連大使館の隠れ蓑として動いているタス通信とも通じている我々の信頼できる筋が私に、〝ソ連は徳田が提案した過度の攻撃的かつ革命的な色彩の指導性に強い不満を持っている〟と告げてきました」



徳田の失態


1994(平成6)年に、日本共産党が出版した『日本共産党の70年・1922〜1992』(上)には、このウイロビーの報告を裏付ける記述がある。

徳田は「ソ連、中国両共産党の覇権主義的干渉に追従した武力闘争路線の導入という重大な誤りに転化した。野坂参三は、その大勢順応主義から徳田に追従し......徳田におとらない重大な誤りをおかすにいたった」。

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左から徳田球一、野坂参三、志賀義雄


徳田球一は、マッカーサーが1945年10月、刑務所から釈放した日本共産主義者の1人で、釈放されるまで、18年間の獄中生活を強いられていた。

同書によれば、「徳田は......行動力のある指導者だったが、理論を極端に軽視する傾向があった。党風も品性に欠けた」。



野坂参三


ウイロビー少将はさらに、1948年7月6日、マッカーサーに秘密メモを提出し、恐ろしい情報を伝えた。

「日本と韓国間を行き来している韓国人たちの複雑な秘密連絡網があります。この連絡網は、日本にコミンフォルムのスパイや政策指導案、それに資金を送り込むために利用されております」

このスパイの1人は、当時、「Mr.共産党」と思われていた野坂参三であった。



ダブル・スパイ


ウイロビーが、「我々の信頼できる筋」と言っていたのは野坂だったのだろうか。

当時野坂は、ソ連の、スターリンの忠実なスパイであり、徳田球一の指導力を取り上げ、自分が日本共産党を牛耳ろうと策を巡らせていた。

野坂は、「ダブル・スパイ」として、アメリカ側とソ連側の間を巧妙に往復していたのかもしれない。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。