道徳の番人

by 西 鋭夫 February 21st, 2016

明治憲法の評価


「明治帝国政府は、国民道徳の検閲人、良心の見張り番人、国民の運命の裁断者として君臨し、国民に何らの協議にも参加させなかった」とGHQは戦前日本を評した。

この厳しい批判は、GHQ当局者への警告ともなった。

「もし民主主義の提案者(アメリカ)が被占領国(日本)の政治形態を自由に選択する権利を無視し、アメリカの政治形態を押しつけたとしたら、極めて皮肉なことといわねばならない」

この謙虚さは、彼らの行動には何らの影響を与えなかった。


道徳の検閲者


マッカーサーは、公然と日本国民の道徳の検閲人、良心の見張り番人、運命の裁断者となった。

だが、「自由の精神」がマッカーサーの日本改革の中核になっていたのは確かである。1946年、新年の日本国民への声明の中で、マッカーサーは強烈にその自由を説いている。

「軍国主義、封建主義、心身に加えられた枷は完全に取り除かれた。思想統制と教育の悪用はもはや存在しない。全ての人間は今や何ら不当の抑制を受けることはなく、宗教の自由と言論の権利を手にした。集会の自由も保障された」


知性乏しき日本人


しかし、雄弁なマッカーサーは、日本人の知性を全然評価していなかった。

「日本人は12歳の子供」で、マッカーサーに甘えていれば全て無事に済んだのである。

帝国政権から外国軍政への激しい移行にも拘らず、大きな社会混乱はなかった。

マッカーサーが、日本人に「試行錯誤」の失態を許さなかったからだ。「錯誤」は「騒乱」を招き、彼の日本占領を不完全なものにする恐れがあったからだ。

日本全土を麻痺させたであろう「ゼネスト」の前夜に彼が介入したのは、この懸念を端的に現わした。

160.JPGゼネスト中止宣言をする全官公庁労組拡大共同闘争委員長・伊井委員長



この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。