野坂参三とスターリン

by 西 鋭夫 August 26th, 2015

「愛される共産党」



「愛される共産党」という台詞が大流行する。


野坂の登場によって、日本国民は、「共産主義者は天皇の首に手をかけない」といった印象を持ち、共産党への反感は和らいでゆくようにみえた。

エマーソンは、「野坂の戦術は、国民の共産党への支持を増大させるだろう」と予見した。陸軍省軍事情報局も、「野坂の臨機応変の才能、紳士的言動、穏やかさは、日本国民に不愉快な思いを起こさせてきた他の共産党指導者とは際立った対照をみせている」と分析している。


スターリンの直参スパイ


野坂参三は、この時、既にソ連の、スターリンの直参スパイであった。


徳田、野坂、志賀

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野坂は、1946年1月12日に帰国するが、その前年10月から11月にかけ、モスクワを極秘に訪問し、スターリンと会見していた。

1994(平成6)年、日本共産党が出版した『日本共産党の70年・1922〜1992』(上)に興味をそそる記述がある。

「ソ連崩壊後、日本共産党が入手した各種の内部資料によって、野坂のモスクワ滞在中に、ソ連情報機関の工作員、内通者としての任務をあたえられ、野坂 がこの任務に忠実にしたがったことが明白になった」

「野坂は勝手に『日本共産党』を名のり、モスクワからの資金援助とモスクワとの恒常的な連絡の体制についても要請をおこなった」「このときのモスクワ訪問の事実を、野坂は、40数年にわたって党指導部にかくしつづけ、89年に完結した自伝『風雪のあゆみ』にも書かなかった」

「野坂は駐日ソ連代表部にいた情報部員をつうじて、モスクワに手紙を送り......徳田、志賀をセクト主義と批判して自己の役割を誇大に宣伝するなど、ソ連の秘密工作員としての活動を開始した」

野坂参三がスターリンのスパイとは、戦後50年間、日本中誰も知らなかった(1993年、野坂は101歳で死去した)。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。