死を意識するとき
これまで切腹を中心にお話ししてきましたが、現代に生きている私たちにとっては、苦痛のない、静かな死を望む人が一般的だと思います。もちろん、人それぞれに幸せな死に方というものがあると思います。武士は切腹という手段でもって死に際に華を咲かせようとしました。
しかし現代の日本人にも「死に際の美学」というものは残っていると思います。元気なときはほとんど意識できないかもしれませんが、日本の文化で育った人であれば、死が近づいてくると「どういうふうに死のうかな」と考え始めるものです。
その時はもちろん、楽な方がいいです。酸素がなくて苦しむなど、そんなことはない方がいいです。ただ、私が聞いたところですと、いつもご先祖様と息子、娘、そして孫たちについて考えているそうです。そして「自分が死ぬと、どういう良いことが息子や娘や孫にあるかなぁ」と、それを絶えず考えていると仰っていました。
財産についての考え方
私が60歳のころにすでに80歳ぐらいの方でしたが、頼りにしていた税理士の先生がおられました。その方は「西先生、財産とか何とかいろいろ言葉がありますが、何も残してはいけませんよ」と言っていました。なぜでしょうと聞くと「財産を残すと兄弟が1 万円の違いで大げんかします。訴訟を起こします」とのことでした。兄弟たちだけでなく「孫たちも大げんかする」ようです。
ではどうしたら良いのか。「生きている間に全部あげなさい」というのが先生の答えでした。生前贈与という言葉があるぐらい、生きている間にあげることが行われております。もう理由などは必要ありません。大抵財産を持っている方は「今こういう大金を息子や娘、孫にやると無駄遣いするのではないか」と心配したり、「彼たちが一生懸命働こうという意欲をそぐのではないか」と、そんなことを考えたりするものです。しかし心配ご無用です。
心配したらきりがないですが、心配するよりもまずはお孫さんたちが「おじいちゃん、おばあちゃん」とベタベタとキスをしはじめますよ。もう大好きでしょうがない状況になるでしょう。心配していたことなんて吹っ飛びます。逆に持ったまま死なれると孫は必ず墓石を蹴り倒しますよ。それほど、人間は醜くなるのです。
財産とどう向き合うか。これもまた人それぞれの死に際の美学だと思います。
西鋭夫のフーヴァーレポート
武士道と切腹(2020年11月下旬号)-8
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。