惨殺された西洋かぶれ

by 西 鋭夫 December 5th, 2016

森有礼


誕生したばかりの明治日本が「己」を探していた時、「国造り」のための模索をしていた1872(明治5)年、後に、初代文部大臣になった森有礼アメリカ駐在弁務使は、日本語を廃止して英語を採用せよとの意見を出した。



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森有礼



英語採用の理由として、森は「現在、世界を支配している英語国民の商業力や蒸気と電気の力」を挙げている。

「日本語のような乏しい言葉」では、日本国民は「西洋の科学、文芸、宗教の貴重な財宝の中から神髄を把握することは決してできない」「国の憲法も日本語では維持することはできない」「日本語は廃止した方がよい」

と断言した。



経歴


森が在米中、文部省学監として任命したアメリカ人デービッド・モルレーは、森にその極度な西洋気触れを捨てるように説得した。

森は、1865(慶応元)年、イギリスに留学し、アメリカにも渡っている。

3年後、帰国し、明治政府に仕える。

1870(明治3)年アメリカ弁務使として3年間在任し、1879(明治12)年から1884年まで駐英公使を務める。



運命の日


1889(明治22)年2月11日、明治憲法発布の日、雪が降る朝、森は、彼の欧米気触れを嫌悪した国粋主義者の西野文太郎に刺され、翌日死去した。

あの頃、殺す者も、殺される者も、教育の重要さを把握し、命を懸けていた。

森有礼暗殺について、余談になるかも知れないが、当時の『東京日日新聞』を引用し、その惨劇をここに再現する。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。