ハル・ノートの真相

by 西 鋭夫 November 17th, 2022

大いなる誤解

日米大戦を巡っても極めて重大な歴史上の誤解があります。それはハル・ノート、すなわちコーデル・ハル米国務長官から日本政府に提案されたあるメモに関するものです。中高の歴史教科書では、これが開戦前の最後通牒かのように扱われておりますが、真相は異なります。

まずハル・ノートとは一体どのようなものなのか。研究者も含めほとんどの人がその実物を見たことがないと思いますが、原文はアメリカのレターサイズ、日本で言えばA4より少し短くて幅が広いもの、に書かれております。

そしてこの紙の一番上の方に、「これは一時的なディスカッション用です。最終決定ではございません」と大文字で書いてあります。

このことは日本ではほとんど知られておりません。そもそも実物を見たことがないので誰も分からない、といった方が正確かもしれません。

タイミング

ハル・ノートが出された日時についても誤解と混乱があるように思います。私たちは、ハル・ノートを否定したことで開戦せざるを得なくなったのだ、と教えられてきました。しかし、このノートが野村大使に渡された1941年11月26日には、すでに北海道の択捉島から大日本帝国連合艦隊が真珠湾に向けて出撃していたのです。

大本営は11月26日以前の段階で、英国と米国、そしてオランダと戦争することを決めておりました。しかもそれは御前会議での決定です。

しかし日本では、ハル・ノートのせいにして「仕方なく戦争をした」と言っているのです。時間的に順序が逆なのです。ハル・ノートは最後通牒ではございません。一番上に書いてあるのではないですか。

 

真相

大本営は戦争がしたくてうずうずしておりました。昭和天皇は「外交的になんとか解決できないものか」と仰っておりました。そんな大本営にとって、ハル・ノートはまさに格好の材料を提供したのだと思います。彼らは自分たちの都合の良いようにそれを解釈したのです。

一方のルーズベルト政権も戦争がしたくして仕方ありませんでした。しかし、当時アメリカには「アメリカ・ファースト」という言葉がありました。これは最近の話ではなく、20世紀前半の話です。アメリカは海外の戦争に二度と参戦しない、という方針です。すなわち、アメリカ国民は何か大きな出来事や問題がない限り、絶対に戦争をしない。そんな決意を持っていたわけです。

そこで起きたのが真珠湾攻撃でした。ルーズベルト大統領はこの日を「屈辱の日」と呼びました。この真珠湾がなかったら、米国民は絶対に日米開戦を支持することはなかったでしょう。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
2018年11月上旬号「働き方改革と歴史」-8

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。