皇室外交

by 西 鋭夫 November 29th, 2016

「お飾り」天皇


国務省の外交官エマーソンが東京・GHQから「マッキンレー山」号でアメリカへ帰国途上、バーンズ国務長官宛に書いた長い報告書(1946年2月8日付、29頁)の中で、興味深いことを言っている。

「新憲法の下、天皇は単なる〝お飾り(figurehead)〟になると思います」

2月10日にホイットニー民政局長が書き上げた「マッカーサー草案」の中に出てくる「天皇は国家の象徴」ということを、エマーソンはすでに知っていたのだ。



人身御供


彼は続けて、「皇太子には、天皇に即位する前に、留学させるべきです。しばらくの間、彼を日本から離すことは、彼の周りに野心を持った取り巻きが出来ることを防げますし、アメリカ教育は彼にとっても、日本にとってもよいことだと思います」。

1946年3月27日、天皇陛下は、教育使節団員を皇居に招き、お茶会で持て成しさえされた。

その時、ストッダード教育使節団長に皇太子明仁殿下(今上天皇、当時12歳)のためにアメリカ女性の家庭教師を探してくれるように要請された。

天皇陛下は、皇太子殿下が日本の将来という大きな目的のため、「人身御供」になることを日本国民とアメリカに示したかったのであろう。



アメリカ教育


とはいえ、これは賢明な皇室外交であった。国務省から政治顧問のアチソンに「皇太子のアメリカ教育」の必要につき指令があり、アチソンが皇室へ要請してはどうかと指示していたのだろうか。

それとも、マッカーサーが天皇に「ストッダード団長にアメリカ人の家庭教師を探してくれるように頼んでみてはどうか」と進言(命令)したのだろうか。

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だが、茶会に参席していた教育使節団員エミリー・ウッドワードは、露骨に「天皇はオドオドした小さな男で、身辺に起きている事柄に、何から何まで神経を尖らせていた」と言った。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。