From: 岡崎 匡史
研究室より
美術館や博物館に行くと、入口付近で人集りが出来ていることがあります。せっかく美術館に来たのに混雑していると、イライラが募ってくる。といっても、最近ではコロナの影響で見慣れない風景になりましたが、、、
もともと、私は美術とは縁がありませんでした。しかし、学生時代の恩師は、美術館に毎週、少なくとも月1回は通いなさいと勧めてくるのです。即物的な思考をしていた私をみかねてのことです。音楽や芸術、人間の営みがわからないで、研究者になれる訳ないよ、と諭されました。
絵を鑑賞しろと言われても、背景知識もないし、どうやって「見る」のかもわかりません。その時に受けた助言は、何も分からなくてよいから、美術館の展示を一周して、自分の一番好きな絵を見つけ、10分間見つめていなさい、という指示でした。
横山大観と朦朧体
さて、先日のフーヴァーレポートで「戦争と美術」をとりあげましたが、日本画の巨匠と呼ばれるのが横山大観(よこやま たいかん・1868〜1958)です。
あなたも一度は、横山大観の名前を聞いたことがあるはずです。「富士山」や「桜」や「太陽の朝日」などをテーマにした作品を描き、日本画に大きく貢献したことから、教科書にも名前が出てきます。
横山大観は、東京美術学校で岡倉天心(おかくら てんしん・1863〜1913・名著『茶の本・The Book of Tea』を上梓)から美術を学びます。横山大観は、輪郭を線で明瞭に描かず、色彩の濃淡のみで描写する朦朧体(もうろうたい)を確立したことでも知られております。
彩菅報国
そして横山大観のもう一つの顔が「彩菅報国」(さいかんほうこく)の画家であったことです。彩菅報国とは、絵筆で国に奉公するという意味です。
広島の江田島にある海上自衛隊(旧海軍兵学校)には、横山大観の名画「正気放光」(せいきほうこう・1942年作)が飾られています。
横山大観は、富士山を日本の「國體」と捉え、日本人の「神国観」を絵で表現した。「朝日・富士・桜」などを、日本の国威の象徴と見なしたのです。
横山大観は、1932年から絵画販売による利益を国に献金。1940年には、高島屋百貨店で献納画展を開催し、20枚の絵を販売。売り上げの50万円は軍へ贈呈され、四機の戦闘機が購入され「大観号」と名づけられたのです。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・池田安里『ファシズムの日本美術』(青土社、2020年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。