From: 岡崎 匡史
研究室より
「皇国」という言葉を、令和の日本で見かけることは滅多にありません。
そもそも、あなたは「皇国」にどのようなイメージを持つのか。
そして、「皇国」をどのように読んでいるのか?
「皇国」を「こうこく」と読む人もいれば、「みくに」とフリガナを振る人もいます。
この二つの読み方の違いは、いったい何を意味するのか?
尊王と尊皇
以前、尊王と尊皇の違いを紹介したことがあります。
幕末の志士たちは「尊王」というスローガンを掲げていた。
ところが、大正中期から昭和10年代にかけて「尊皇」に置き換わるようになった。なぜなら、国粋主義者が「尊皇」の使用を声高に主張した。
「王」は、中国古来の政治思想「易姓革命」を暗示する。中国を蔑視する当時の風潮と日本の優越性を強調したいがゆえに、「皇」が用いられるようになったのです。
明治維新と皇国
「皇国」という用語は、幕末に入ってから声高に唱えられるようになりました。
主君への絶対的忠誠や幕藩体制下での領地意識である「御国」(おくに)に対して、天皇(朝廷)を中心に日本を統一し、新たな政治体制を打ち立てる思想として「皇国」(みくに)が登場。
当時、「皇国」(みくに)は斬新な響きがあった。幕末の志士たちにとって「皇国」(みくに)とは、「尊王攘夷」と同じように求心的な価値観であり、明治維新の原動力だったのです。
しかし、「尊皇」と同じように、「皇国」という言葉は「昭和維新」や「天皇制ファシズム」の精神的基盤として乱用されてしまう。
昭和になって天皇の神格化が加速していき、教育機関や歴史学者までもが加わり、本来の「皇国」にさまざまな脚色がなされてしまった。「皇国史観」とは、「幕末に形成されてきた思想の一部分を極端に拡大」したものなのです。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・飛鳥井雅道『坂本龍馬』(講談社、2002年)
・横田達雄『武市半平太と土佐勤王党』(私家版、2007年)
・長谷川亮一『「皇国史観」という問題』(白澤社、2008年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。