属国日本
戦争を経験した世代の記憶を戦後世代は継承することができるのでしょうか。
私が伝えたいのは、戦争に負けるといかに悲惨かということです。私たちは壮絶な戦争を戦いましたが、当時のことについて何も学ぼうとしておりません。歴史の教訓は「戦争をしてはいけない」ということです。しかし、仮にせざるを得ない状況に追い込まれたら、「絶対に負けるな」ということです。負けそう、負けるかもしれないと思っていたら、戦争という手段に訴えてはいけない。
負けたことによって、私たちの国は今でも完全にアメリカの属国です。70年以上が経っても、いまだに属国の地位から抜け出すことが出来ないのです。
「戦争」の呼び方
その一つの例が、戦争の呼び方に現れています。皆さんは、1940年代に私たちが戦った戦争を何と呼びますか。私たちは当時「大東亜戦争」と呼んでいました。
しかし、マッカーサー親分がその呼び方を禁止しました。「大東亜戦争とは何ごとか。それは、お前たちの帝国を作る話ではないか」と。そこで「日本帝国」という名称も、「大東亜」という構想も葬り去られました。代わりに使われるようになった呼び名が「太平洋戦争」です。あくまでもアメリカから見た、太平洋を舞台とする戦争なので「パシフィック・ウォー」なのです。
そうすると日本はあたかも太平洋だけで戦ったというような雰囲気ですが、それは違うでしょう。日本はアジアで、東南アジアで、そしてインドやオーストラリアでも戦おうとしておりましたから、本来は「アジア戦争」と呼ぶべきです。しかしアメリカはそう呼ばなかった。
教育への影響
米国中心史観と言うべきその強引さは、戦域そのものを「太平洋」に限定してしまったのです。
このことが学校教育に与えた影響は極めて大きい。日本とアジアとの関係についてしっかりと教えなくなりました。あの戦争は「太平洋」で起こった戦争だから「アジア」は関係ない、とでも言っているような態度です。
大東亜戦争という言葉も消え、アジアで日本軍が何をしたかについての歴史も消え去ろうとしています。「大東亜」について、今若い世代に言っても誰も分からないのです。そんな状況が生まれているのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
大東亜戦争(2018年8月下旬号)-1
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。