ソ連軍の脅威
陸軍参謀総長J・ロートン・コリンズ将軍も、バンデンバーグ将軍の後押しをして、マッカーサー元帥が全く乗り気でないと説明した。
「彼を悩ませているのは、もし平和条約が締結されたら、日本におけるアメリカ軍の規模は、単なる象徴的なものになるではないかということだ。......元帥によれば、アメリカ進駐軍は、現在ですら北海道では非常に薄く、ソ連軍は好きな地点に、簡単に上陸でき、アメリカ軍と対決する以前に、かなりの距離を内陸に進むことができるのである」。
コリンズ自身も、ソ連が実際に上陸するかもしれない、と考えた。
アチソン国務長官は参謀総長たちに、国務省は日本における軍力の削減を考えてもいないし、アメリカの安全保障は国防省の責任なので、国務省はできる限り援助すると約束した。
議論の蒸し返し
2カ月前の2月3日から6日まで東京を訪れたバターワース国務次官は、この会議の席で、日本の世論はアメリカの軍事基地に賛成しているようには見えない、と言った。
納まりかけた議論がまた盛り返した。
驚いたジョンソン国防長官は、もしバターワースの判断が正確だと、「自分は前より強く平和条約に反対する」と断言し、「日本人がもし米軍基地を受け入れる用意ができていないのなら、戦争責任や賠償義務などの罰のない平和条約を日本に与える必要はない」とまで言った。
異論・反論
ボルヒーズ陸軍次官も、1949年8月29日から9月14日、同12月5日から9日にかけて来日しており、彼の日本の状況判断は、バターワース国務次官のものとは正反対である。
ボルヒーズは、「殆ど全ての日本人がアメリカ軍を歓迎し、彼等の最大の関心は、日本の安全保障であり、平和条約は第二番目の問題であると見ている」と言った。
バターワースは、「日本人は、日本にある米軍基地がアメリカとソ連との争いを悪化させることになるのではないかと心配しているのだ」と反論した。この極秘会議は物別れに終わった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。