講和の資格
アチソン国務長官の懐刀で「無任所大使」の肩書きを与えられたジェサップは、平和条約に乗り気ではない国防省(ペンタゴン)に圧力をかけるように、4月13日、「日本はいまや講和条約を結ぶ資格をもっている」と全米に向けラジオ放送した。
国務省、マッカーサー、国防省が、日本の独立はいかにすればアメリカの国益に合うのかを議論している時、マッカーサーは、1950年5月6日、東京でオーストラリア新聞記者たちと会見し、恰もソ連の出鼻を挫くかのように、
「日本は今まであらゆる要求を履行し、講和条約を結ぶ資格を持っている」
と発言し、
「民主主義諸国が日本の中立を求めていることをソ連に納得させれば、ソ連を講和会議に出席させるチャンスはあるかもしれない」
と言った。
戦争国家日本の行く末
朝鮮戦争勃発の1カ月半前のこの会見で、マッカーサーは興味深い発言をしている。
⑴ 「講和後の日本を防衛するため、アメリカが日本に基地を保有するかどうかという問題は、日本自身が決めるべきだ」
⑵ 「日本が再び戦争を始めるかもしれないなどとは全く考えていない。しかし......日本人の気持ちが敗戦以来変化したとは考えていない。今なお、戦闘的な民族だと見ている」
⑶ 「日本人は......もう一度戦争があれば到底戦後に生き延びることはできないことを知っている」
⑷ 「日本人は近代戦における戦闘員としては駄目だ。......たとえ連合軍が50年間日本を完全に放置したところで第四流の軍事国家以上にはなれない」
中ソの締め出し
⑸ 「日本を軍事的に再建する気はない。現在ある太平洋基地に全く満足している。連合軍は、侵略者がウラジオストックや華南からの両面作戦を進めても、その企てを破壊するであろう」
マッカーサーは、この記者会見を使い、ソ連と中国を敵視していることを言明し、また、他の連合国が日本に対して持っている恐怖の念を取り払うように策を凝らしている。
彼は、ソ連や共産中国の参加した「全面平和条約」など考えてもいない。むしろ、ソ連と中国を日本から完全に締め出すために、日本との「単独講和」を推進するようになってきたのだ。
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。