トレイナーの激昂
トレイナーの態度はここで明確に変化してくる。
関口は、教育の「機会均等」について、「全て国民は、法の定めるところにより、等しく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられ、人種、信条(宗教)、性別、社会的身分や家系によって教育上差別されない」と書いた。
「法の定めるところにより」という字句の挿入は、後日、制定する他の法律によって、教育の機会均等の原則を変えようとする関口の老獪さを示したものであった。
だが、目を光らせていたトレイナーは、「驚愕すべき挿入だ」と非難し、「これは第一次草案よりも悪い」と関口を叱り飛ばした。
関口は、「私は、田中文相および省内各部局長と相談しなければ、男女共学について草案を作成することはできません」と反論したが、トレイナーはこの草案作成の責任は関口に与えられたのだから、「腰を据えて書け。11月29日に出頭せよ」と命じた。
第三次草案の行方
11月29日、関口は第三次草案二通を持って現われた。
関口は、二通のうち一つは、「私が書いたものではないが、全く曖昧さがないので、とても解り易い。私が書いた草案は、一般の日本人には理解されないであろう」と言った。
しかし、自分が執筆した草案は「より立派な日本語」で書かれていると説明した。
トレイナーは、「教育法は国民が理解できるように明確に書かれなければならない」と関口に忠告した。
「関口氏はこうした考え方に吃驚仰天していたようだが、それでも少しは解ったようだ」と、オアとニュージェントに報告している。
12月2日、関口と文部省は、最早これ以上の引き延ばしや躊躇は不可能と見て、トレイナーに受け入れられるような草案を提出した。
関口とトレイナーは、次回会合(12月9日)までに、各自が英語で最終草案を仕上げ、双方の草案を付き合わせようということで合意し、その最終草案がCIE教育部内で検討された。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。