「教育基本法」の波紋

by 西 鋭夫 July 26th, 2016

教職域の政治化


1947年3月31日、新憲法に盛られた理想を学校教育で補強するために、「教育基本法」が公布された。

「教育基本法」は、マッカーサー憲法と同じようにアメリカ製である。

教育基本法の中で、最も論議の的となった条項は、男女共学に関するものではなく、

「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」

という、政治教育に関する第8条であった。

日本教員組合は、この第8条を利用し、彼等の職域を政治化することに没頭していった。政治化することは労働組合化に繋がった。


日本の聖者・賀川豊彦


事実、GHQも文部省も、教職員の労働組合運動を奨励した。それに応えるかのように、殆ど同日に、二つの教職員組合が誕生した。

日本教育者組合は、著名なクリスチャンの賀川豊彦によって、1945年12月2日、結成された。

賀川は天皇制の擁護を掲げる傍ら、教師たちの経済的地位の改善に関心を払った。貧民救済に尽力した賀川は、欧米では「日本の聖者」として高く評価されていた。

1920(大正9)年に出版した彼の『死線を越えて』はベストセラーになったが、その印税を社会運動に寄付した。



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賀川豊彦


「一億総懺悔」の提唱


神戸神学校を卒業後、プリンストン大学に留学し、プリンストン神学校を卒業した。

日米開戦前、1941(昭和16)年4月5日、キリスト教界の代表者6人と共に、賀川はアメリカへ行き、4カ月間に亘り、非戦論を遊説した。

戦争中、賀川は一時的に警察に拘留されたが、東京ローズが行なっていたような対アメリカ放送に協力した。

終戦直後の東久宮内閣の参与となり、全国民の罪滅ぼしの為に「一億総懴悔」を提唱した。


賀川の評価


賀川の変身を見逃すGHQではなかった。アチソン政治顧問は、占領開始3カ月目の11月5日にトルーマン大統領へ手紙を書き、

「キリスト教徒であり、日本のリーダーの一人である賀川は、残念ながら、戦争に協力した過去を隠そうとして、看板を塗り替えているだけだと思われております」

と報告している。この翌1946年、賀川は貴族院議員に勅選されたが、GHQは彼の登院を禁止した。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。