質問状
極東委員会は、憲法草案の変更は不可能と認め、質問作戦に出る。選挙の2日後、4月12日、極東委員会はマッカーサーに質問状を打電した。
⑴ 「他の草案が、いかなる方法で日本国民に知らされ、討議されたのか」
⑵ 「日本国民が、新憲法を検討した時、いかなる民主主義的原則を適用したのか。その証拠は」
⑶ 「日本国民はどのような方法で、皇室を廃止し、民主改革するよう鼓舞されたか」
極東委員会は、「マッカーサー自身がワシントンに来られないのなら、幕僚のメンバーを送り、質問に答えよ」と要請した。
秘密電報
この侮辱に耐えられるマッカーサーではない。激怒したマッカーサーは、極東委員会議長のフランク・R・マッコイ(アメリカ陸軍少将)に、個人的秘密電報を送った。
マッコイ宛にしたのは、彼が自分を崇拝していることを知っていたからだ。事実、マッコイが極東委員会のアメリカ代表に任命された時、彼は
「任命を受諾する前に、あなた(マッカーサー)と事前協議することができなかったことを残念に思います」
と、マッカーサー元帥に伝えてくれるように陸軍省に要望している。
マッカーサーの憤り
マッカーサーは、極東委員会に対する怒りをマッコイにぶちまける。
「日本国民によって採択された憲法改正に関し、私はいかなる措置もとらない、というのが私の意図であった。それはまたアメリカ的な政策である。しかし、極東委員会は、日本国民が草案を採択する前に、委員会の同意が必要であると、しつこく要求している。これはアメリカ政府に政策変更をさせようとするものだ。極東委員会の態度は、我々の占領行政に計り知れない害を与える。なぜなら、委員会の態度は、日本国民に、憲法草案は連合国軍に銃剣を突きつけられて、丸呑みさせられたものである、との偏見を起こさせるからだ」
「私が政府草案を個人的に承認したのは、民主的改革のため因習、偏見、反動と戦っている自由勢力を精神的に力づけるためで、私の承認によって連合国、または最高司令官自身が、介入した訳ではない。私は諸原則に同意を示したのみである」
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。