米軍上陸

by 西 鋭夫 April 7th, 2015

アメリカ軍先遣隊


玉砕をも恐れない日本軍との激戦を勝ち抜いてきたアメリカ陸軍第8軍の最初の部隊(146名)が、1945(昭和20)年8月28日の晴れあがった朝、テンチ陸軍大佐の指揮下、無気味なほど静まり返っていた厚木に上陸した。

完全武装をし、日本軍の待ち伏せがあるのではないか、とピリピリ緊張していた。

「厚木」を日本上陸の地に選んだのは、厚木が2週間前まで神風特攻隊の訓練場だったからだ。「アメリカの勝利」を敗者日本に思い知らせるためだ。

マッカーサーの命令で、厚木に残っていた零戦のプロペラは、全て外されていた。


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アメリカ兵の証言


この最初の部隊の1人にアーサー・コラダルチ(元スタンフォード大学教育学部教授)がいた。1977(昭和52)年、スタンフォード大学で彼とコーヒーを飲みながら話をしていた時、彼はその朝の様子を生々しく語り始めた。


「ボクは厚木に上陸した最初のアメリカ兵の1人で、横浜市に入った最初のアメリカ兵だったんだ。体の震えが止まらないほどビクビクしていたね。本当に怖かった。上官がボクに1人で横浜港へ行って、何があるかを見てこいと命令したからだ。ボクは何とか、オンボロの小さなスクーターを1台見つけ出し、それで厚木から横浜港まで行った(この距離24キロ)。道路は全くの無人だった」

「多くの日本人が、家の中からじっとボクを見ているのが肌に感じられた。実に怖かった。どうにか横浜にたどり着くと、なんと街頭には人一人いない。港がどこにあるのかわからない。尋ねなければならないのだが、異様な無人地帯だった。ボクは大きなビルに入ってみた」

「広いロビーに人がびっしりと缶詰になっていた。銀行だった。息が詰まるような重苦しい沈黙が続いた。みんながボクを凝視している。〈誰か英語を喋る人はい ないか?〉と聞いても誰も答えない。長い沈黙が続いた」

「やっと1人の男が少しならわかると言った。ボクが港を探しているだけだと告げると、彼はみんなの方を振り返り、このアメリカ兵はただ港へ行くだけで、懲らしめにきたのではないと説明すると、日本人が一斉に安堵の溜め息を洩らした。ボクが笑うと、彼らも笑った」


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。