アメリカの大学院で日本を知る
この本を書くようになった経緯について一言。
東京オリンピックの年、1964(昭和39)年の初夏、私はアメリカの西海岸、ワシントン州シアトルにあるワシントン大学の大学院へ留学した。運賃の安い船便で渡米した。
在学中、「日米外交史・第2次世界大戦」のゼミを取り、「太平洋戦争」について初めて詳しく学んだ。
日本の学校教育では、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)になると「1931年、満洲事変」「1941年、真珠湾攻撃」「1945年、広島・長崎の原爆」しか教えない。日本の「悪行」と「原爆の非人道的な悲劇」だけを強調する。
歴史は、勝った国から見ると、こうまで違うのかと驚いた。
アメリカ国民は原爆投下に関して、罪悪感を持っていない。アメリカ人が少しでも「反省」をしてくれれば、日本が受けた悲惨が癒されるのではないかと我々日本人が望んでいるだけだ。アメリカは「原爆で勝った」と信じている。
日本の「真珠湾攻撃」を、日本の「汚い、邪悪の性格」を象徴するものだと、アメリカ国民は今でも12月8日になると、「Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」と唱える。学校教育でもそう教えているからだ。
今日の日本に決定的な影響を与え、運命を決めたアジア・太平洋戦争について、日本人の私がアメリカで初めて学んだということは、文部科学省と日教組に牛耳られている日本の学校教育が、いかに祖国の歴史を軽蔑し、無視しているかを曝け出したようなものだ。
その祖国の歴史、「日本史」さえも必修でなく、大学受験の都合で選択科目にしている学校教育は、「亡国」という凶事への前兆か。
機密資料の公開と博士論文
博士論文は日米関係のどの時代について書こうかと漠然と考えていた時、『ニューズウィーク』誌(1974年末?)の小さな記事が目についた。
「1945年度のアメリカ政府の機密文書を公開する」と書いてあった。
アメリカ政府は極秘文書を30年後に全面公開する。30年間で時効となる。これも、アメリカが偉大な国であるという証の1つではなかろうか(日本には時効はない。極秘文書は永遠に極秘だ)。
「1945年は昭和20年。アメリカの日本占領が始まった年だ。日本人の知らないことが隠されているのではないだろうか。アメリカ政府の本音が解るのではないだろうか」と思った。
1週間後、ワシントン大学大学院の研究助成金を受け、ワシントンDCに飛び、National Archives(アメリカ国立公文書館)へ直行した。ここには、アメリカ独立宣言の原文があり、ここにアメリカ政府の重要文書すべてが保管してある。公文書館の建物は惚れ惚れするほど見事。これはアメリカの国力か、富の深さか。いや、歴史を大切にする心意気であろう。
「国務省(Department of State 日本の外務省にあたる)の1945年度のファイルを見たい」と申し出た。すると、礼儀正しい、度の強いメガネをかけた係員の1人が、私を地下の迷路に連れて行き、四方に頑丈な金網の張ってある小さな部屋に案内してくれた。金網は濃い緑に塗ってあった。
「しばらく待っていてください」と言う。
この部屋には灰色の金属性の長方形テーブルが1台、鉄製の椅子が1脚。床はコンクリートで灰色に塗ってあった。身の引き締まる思いがした。15分ほどして、この係員が手押し車に灰色の箱を20ほど積み、ゆっくりと部屋に入って来た。「入って来た」といっても、外からも内からも、係員の動作も私も丸見えだ。
「あと数10箱ありますから、これらが済み次第お知らせください」と言って、係員は部屋を出た。
これらの箱の上には、うっすらと埃が積もっており、それに指紋がついていない。どの箱にもついていない。箱は両手を使わねば開けられないもので、30年間たった後、機密文書の扉を開けるのは私が初めてかと、興奮した。
あの感情の高ぶりは、生き埋めにされている日本の歴史に対する畏敬の念だったのだろうか。存在していたことも知られていなかった貴重な生資料が、次から次へと出てきた。それらを複写し、大学へ持って帰り、博士論文(1976年)を書き上げた。
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この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。