昭和天皇の御親拝

by prideandhistory_admin October 1st, 2023


From: 岡崎 匡史

研究室より

「岸本英夫と靖国神社」で解説したように、岸本の説得によって靖国神社から派手な軍国主義的色彩は取除かれた。

1945(昭和20)年11月19日の出来事であったが、このとき昭和天皇は風邪を引いて熱をもよおされていた。しかし、「明日の行幸は大切なれば是非行く」とご決断されていた。

1945(昭和20)年11月20日、 昭和天皇は皇居を10時に出発して晴天に恵まれた靖国神社大招魂祭に向かう。

10時15分、祭典委員長の梅津美治郎(うめづ よしじろう)が昭和天皇を先導し、鳥居からは宮司に連れられ、GHQ職員と岸本の前を通りすぎてゆく。そして、昭和天皇は、招魂殿前で玉串を捧げた。

昭和天皇とダイク大佐

参内を終えて昭和天皇がGHQ職員の横を通りすぎようとした。

そのとき、昭和天皇はダイク大佐に向かって挙手の敬礼をして、驚いたダイクも去っていく昭和天皇に敬礼で応じた。

式典の後、元海軍大佐で靖国神社の大宮司・鈴木孝雄(鈴木貫太郎の弟)は、「靖国神社は軍国主義的なものではなくて、おだやかな性質のもの」であると、ダイク局長、バンス課長、岸本に説明した。

ダイク大佐

権宮司の横井もダイク大佐一行と会談。

ダイク局長は「靖國神社の職員は全部で何名か」と横井権宮司に質問した。

横井は「総員130名で、そのうちまだ応召して帰還していない職員が3名いる」と返答。

ダイクは改まって態度で「靖國神社の職員に召集があるのか」と聞き直し、横井は「靖國神社の職員であつても応召ということはある」と述べた。

横井は、「靖國の職員は戦争の指導的立場」ではなく、「軍の指令によって行動していた」という印象をダイク大佐に与えた。

ダイク大佐は「靖国神社の祭りというものを、全然別な、はげしい様相」のもので、「軍国主義的な行事があったり、煽動的な説教」をするものと思いこんでいたようである。

しかし、式典は軍国調とはかけ離れた静かで厳かなものであり、ダイク局長の印象はすこぶるよいものであった。その後、ダイク局長は靖国神社での祭典を人に語り、「神社神道は欧米で考えているようなものでない」と、自ら進んで説明するようになった。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・新宗連調査室編『戦後宗教回想録』(PL出版社、1963年)
・小林健三、照沼好文『招魂社成立史の研究』(錦正社、1969年)
・木下道雄『側近日誌』(文藝春秋、1990年)
・靖國神社編『靖國神社百年史 資料篇 上下』(靖國神社、1983年)
・竹前栄治『GHQの人びと』(明石書店、2002年)

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