踏み躙られた天皇大権
戦争に敗けようが、アメリカに占領されようが、日本政府は、危険極まる共産主義者が永久に投獄され続けることを望み、さらに不可侵の「天皇大権」が永遠に存続されなければならないと思っていた。
日本政府の思惑など眼中になかったマッカーサーは、共産主義者たちをすぐさま釈放した。
牢から出してもらった者たちは、喜び勇んで天皇大権を攻撃した。
天皇は「戦犯」であると断言した。
マッカーサーは追い撃ちをかけ、明治憲法を廃止し、新しい憲法を自分の部下に書かせた。そこには、「天皇大権」の痕跡もない。
共産主義の邪悪な魔力
日本の保守派の悪夢が現実となった。
この悪夢に喜んだマッカーサーは、日本の労働者たちに労働組合を組織することを奨励した。この労働組合が、日本帝国主義の財源であった財閥の背骨を折る、と期待したのだ。
労働組合の数は鰻登りに増えていった。マッカーサーは、労働者たちが共産主義の邪悪な魔力に取り憑かれる、とは考えてもいなかったのだろう。
しかし、日本経済の窮状が、労働者の過激化の火に油を注いだ。マッカーサーと日本の保守派が、共産主義は狂暴な独善的教義であるという合意に達するには、時間がかからなかった。
ゼネストの脅威
事実、日本の労働組合が、1947年2月1日にゼネストに突入すると宣告した時、マッカーサーは、その前夜、ゼネストを禁じた。共産党に指導され、用意周到に計画されたゼネストは、GHQと日本政府を震撼させたのである。
ゼネスト中止宣言をする伊井委員長
吉田首相も「このゼネストの脅威が、GHQの共産主義者に対する政策を変えさせ、一段と厳しい態度を取らせるのに役立ったことは疑いの余地はない」と認めている。
マッカーサーがゼネストを中止した直後、財閥解体をも中止した。この財閥解体こそが、日本の民主主義と経済成長にとって必要不可欠なものであると言っていたのだが......。
マッカーサーは、GHQが毀した財閥を再建すれば、悪化し続ける日本経済が復興し、労働者の共産化を防ぎ得るのではないかと考えた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。