元文相・田中の豹変
教育勅語の死と深く関わった田中耕太郎は、1950(昭和25)年2月28日に第二代最高裁判所長官に任ぜられた。1960年まで在任する。
田中は経験の浅い政治家として出発したが、政治的にも幅のある発言ができるようになってきた。
彼が最高裁判所長官に任命されて間もなく、4月11日、彼はアメリカの東部、フィラデルフィア在住の友人、ハーグ国際調停裁判所の判事マイケル・フランシス・ドイルに手紙を書いた。
「今、私は法の神聖さと正義をいかなる政治的な影響からも守り抜く重大な責任を感じています。私は世界の平和、そして我が国内での調和と安定のために、なにか貢献をし得るのではないかと考えています。私は、キリスト教に基づく自然法は人間にとって普遍なもので、人類の歴史を通じて変わることのないものだと信じていますし、この自然法が社会を無政府状態や道徳的腐敗から救い出す最も確実な方法だと確信しています」
ドイルは、田中の手紙をトルーマン大統領に送った。
私は、この手紙をトルーマン大統領図書館で読んだ。
田中が文相時代にこの言葉を口にしていたなら、マッカーサーは、彼を首相にしたかもしれない。
遺跡となった教育勅語
新日本が、「永久平和」「民主主義」というアメリカ製の祝詞を唱え上げている間、世界史上でも稀な「国造り」、日本帝国を支えてきた教育勅語は「遺跡」となっていった。
その遺跡も踏み荒らされ、跡形もない。
今の若い世代は「教育勅語」という漢字も見たことがない。
これは、「世代間の断絶」というような生易しいものではなく、「日本史の断絶」「歴史の空白化」という亡国への前兆だ。
私は、教育勅語を復活せよと言っているのではなく、日本近代史にとって重大な文書である教育勅語の存在を学校で教えるべきだと主張しているのだ。
信頼の絆
アメリカに「盲目的な忠誠心を育む」と烙印を押された極悪の教育勅語が死刑になった後、日本は「良い国」になったのだろうか。
昭和・平成日本は道徳的に進歩した国になったのか。日本社会の倫理も成長したのか。
忠誠心は政治形態に関係なく、人間の間に、同国民の間に、自然に生まれてくる信頼の絆である。
アメリカ国民もマッカーサー自身も、「忠誠心」や「愛国心」を非常に大切にし、アメリカの国益のために、日本帝国と大戦争をした。その尊い精神的な絆のために、アメリカも、日本も大きな犠牲を払った。
アメリカは、日本国民の愛国心だけが許せないのだ。怖いのだ。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。