吉田の画策
吉田首相は、簡単には降参せず、教育勅語の死から一カ年後、1949(昭和24)年5月7日、彼は内閣の中に文教審議会を設立した。
教育勅語の精神を別な形で復活させようとしたのである。
衝撃を受けたのはニュージェント局長。誰一人、事前に、彼の許可を得なかったからだ。高瀬荘太郎文相を呼びつけた。
ニュージェント局長の怒りと高瀬文相の屈辱を伝える極秘の対話記録(1949年6月8日)がある。
文教審議会の内実
ニュージェント 「新しい文教審議会に関してあなたから直接に報告はなく、新聞で初めて知り、非常に驚いている。文教審議会が文部省の仕事をするなら、文部省とCIEの密接な関係が崩れたことになる。もし文部大臣に相談せずに、総理大臣があなたの仕事をしているのなら、総理が教育問題を自分の手中に収めたことになる」
高瀬 「総理は、日本国民の道徳的退廃を憂え、結局、教育に頼るほかないとの考えから文教審議会を設立しました」
ニュージェント 「教育を通じ道徳を確立する方策について意見をきくのなら、なぜ首相は教育刷新委員会を無視したのか」
高瀬 「文教審議会は教育刷新委員会のような公の機能を持っておりません。むしろ総理が道徳の問題につき個人的に意見を聞き、参考にするためのものであります」
ニュージェント 「もし総理が意見等を必要とするならば、あなたがすべきであって、外部の人がすべきではない。GHQ内においても同様である。こと教育に関し、マッカーサー元帥に進言をするのは自分である。もし元帥が教育に関し、自分以外の人たちを任命されたとしたら、自分としては非常に恥ずかしい思いをする」
高瀬 「ご趣旨はよく分かります。私も文教審議会の一員であり、総理との意見の交換も行ない、いろいろ相談を受けることになっています」
教育勅語に代わるもの
ニュージェント 「新聞によれば、審議会は教育勅語にかわる新宣言を考えていると報じられている」
高瀬 「私はそれについては相談を受けていません。官房長官が記者から質問を受けた際、個人的な意見として述べたものと思われます」
ニュージェント 「もし文教審議会があなたに相談せず、新教育勅語を考えているとすれば、これは重大な事態である」
高瀬 「教育勅語はすでに廃せられたので、総理は道徳確立のため、何か新しいよりどころを必要と考えられたのだと思います」
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。