サイクロトンをなぜ破壊したのか!
12月3日、アメリカの報道筋に「なぜ検査もせず壊したのだ」と突っつかれた陸軍省は、マッカーサーに「指令はサイクロトロンを取り壊せというものではなく、〈接収せよ〉というものだった」「取り壊しにかかった貴殿の理由を明らかにせよ」と求めた。
同日、マッカーサーは返電し、「陸軍省内に何らかの誤解があるようである。......11月9日(サイクロトロンに関する最初の命令が出された9日後)、機密防止措置のとられた特別チャンネルを通じ陸軍長官から特命を受け取った。......サイクロトロンの取り壊しを命ずるものであった。あなたはこの命令をご存じないようである。......私はサイクロトロンの取り壊しには反対だったし、そのようなことをする意図もなかった」「真相の究明を求める」と陸軍省に迫った。
「貴殿が正しい」と陸軍省は次の日、マッカーサーに回答した。
同日、ロバート・P・パターソン陸軍長官は記者会見で、「陸軍省は問題を深い配慮も払わず処理してしまい、取り壊しは、判断の誤りによるものだった」と認めた。
パターソン長官は、自分が出した命令にマッカーサーは的確に従ったともつけ加えた。
12月15日、統合参謀本部はマッカーサーに、「現在拘束している日本の原子力研究者たちを釈放せよ」「ウランとトリウムの在庫すべてを押収せよ」「公表してはならない」との命令を出した。
原子力産業で日本再建
東京のGHQは目を光らせていた。
経済科学局(Economic and Scientific Section, ESS)局長、ウィリアム・F・マーカット少将は、1949(昭和24)年4月18日、陸軍省に「日本でのあらゆる研究活動に監視を怠らず、現在禁止されている原子力研究についても、その形態がどうであれ、厳しく禁止している」と報告した。
1951年6月、占領も終わりに近づいてきていた時、サイクロトロンを日本で再建する話が持ち上がり、実現した。
アメリカから来日していた1939年ノーベル物理学賞受賞者のアーネスト・O・ローレンス博士(サイクロトロンの発明者、カリフォルニア大学)が尽力した成果であった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。