From: 岡崎 匡史
研究室より
昭和天皇(1901〜1989年)が学ばれた「東宮御学問所」は、現在の港区高輪のプリンスホテル周辺に存在していた。
皇太子裕仁親王は、東宮御学問所で特別教育「帝王学」を学ばれる。 13歳から19歳までの7年間、5人のご学友たちと一緒に過ごした。
御学問所の構想を考えたのは、乃木希典(のぎ まれすけ・1849〜1912年・海軍大将)。第10代学習院院長の乃木将軍は、将来、天皇となる皇太子殿下には、特別な教育環境が必要であり、「帝王学」を修めるべきと考えていた。
そして、乃木将軍の御学問所の構想は、ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎(とうごう へいはちろう・1848〜1934年)に受け継がれたのです。
教科担当者
東郷平八郎が「御学問所」の責任者となる。
実際に、東宮御学問所御用掛で教鞭をとったのは、東京帝大や学習院の教授。歴史、地理、国文、理化学、数学など多岐にわたる科目を、当時の一流の人物たちが担当した。
東宮御学問所の教科担当者
科目 担当者(当時の身分)
倫理 杉浦 重剛(日本中学校校長)
歴史(国史・東洋史・西洋史) 白鳥 庫吉(帝大・学習院教授)
地理 石井 国次(学習院教授)
山崎 直方(帝大教授)
国文・漢文 飯島 忠夫(学習院教授)
博物 服部広太郎(学習院教授)
理化学 和田猪三郎(東京高師教授)
数学 石井 国次(学習院教授)
吉江 琢児(帝大教授)
フランス語 土屋 正直(東宮侍従)
佐竹利貞男(外務書記官)
山本信次郎(海軍大佐)
習字 日高 秩父(内大臣秘書官)
入江 為守(東宮侍従長)
法制・経済 清水 澄(学習院教授)
美術史 瀧 精一(帝大教授)
武課・体操 加藤 真一(陸軍中尉)
馬術 根村 当守(車馬監)
壬生 基義(海軍中佐)
軍事講話 陸軍(将官)=河合 操・浄法寺五郎
海軍(将官)=竹下 勇・安保 清種
倫理とは?
倫理の教科だけは、人選が難航した。なぜか?
それは、どんなにすぐれた学説を述べても、どんなに上手に授業をしても、その人物が普段から立派でなければ意味がないからだ。
倫理に抜擢されたのが杉浦重剛(1855〜1924年)。杉浦は在野の教育者。中学校の校長先生が抜擢された。例外中の例外である。東郷平八郎の適材適所の人事であった。
なぜ、杉浦が選ばれたのか?
それは、「人格高潔の国士」「財も欲しがらず、名も欲しがらない」「命がけで事に当たる人」と見込まれたからだ。
杉浦が御進講をする日、彼は朝の3時に起床。沐浴をして身体を清め、瞑想をする。
静かに朝食をとり、6時には東宮御学問所に向かい、7時には控室で待つ。
裕仁親王の登校を迎えられ、8時から講義をする。
このような厳格な人物である杉浦の授業は、通算で280回を超えた。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・杉浦重剛『昭和天皇の学ばれた教育勅語』所功解説(勉誠出版、2006年)
・杉浦重剛『昭和天皇の学ばれた「倫理」』所功解説(勉誠出版、2008年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。