From: 岡崎 匡史
研究室より
前回の「GHQと神道指令」では、「軍国主義・超国家主義」を生み出した悪の温床こそが「国家神道」なのではないか。GHQがこのように見なしていたことに言及しました。
この「悪」を断ち切るために、1945(昭和20)年12月15日に「神道指令」を発令。この指令によって「神道」は国家から分離され、政教分離の原則が打ち立てられた。
それでは、「神道指令」はどのような経緯で作成されたのか。
国体を護持したい日本政府や宗教家たちは、反対意見を述べたのか気になるところです。
日本政府とGHQの「神道指令」をめぐる交渉過程、水面下の動きを追っていきましょう。
宗教学者・姉崎正治
1945(昭和20)年10月上旬、文部大臣の前田多門(まえだ たもん・1884〜1962年)は、GHQの宗教政策の対策を練りはじめる。宗教行政は、文部省の管轄だった。
前田多門は、宗教学者で貴族院議員の姉崎正治(あねざき まさはる・1873〜1949年)にGHQ対策の神道研究を依頼。
姉崎は日本の宗教学の立ち上げに多大な功績を残し、当代随一の宗教学者と評価されていた人物である。
姉崎は、1893(明治26)年に東京帝国大学哲学科に入学し、井上哲次郎やヘーゲルについて研究した。ドイツ、インド、イギリスに留学して古今東西の宗教を研究して、1904(明治37)年より東京帝国大学教授になった。
神社神道問題対策
前田から依頼を受けた姉崎は、1945年10月30日付けで日本政府に「神社神道問題対策」を提出。
「神社神道ハ宗教ニアラズトイフ解釈ハ従来帝國政府ノ支持シ来レル所ニシテ、コノ解釈ニハ一面ノ真理アルモ、神社ニ対スル信仰竝ニ神社ニ於ケル行事ニ宗教信念ノ存スルコトモ亦争フヘカラサル事実ナリ、依テ政府ハ従来執リ来リシ神社保護ニ関スル一切ノ政策ヲ廃棄シテ、神社ニ於ケル宗教信仰及行事ハ、一切之ヲ人民各自由ノ取捨ニ委スルコトトス」
具体的には、次のとおりである。
(1)大麻(神棚に置くお神札)の頒布、禊行事、大禊、団体参拝、官公学校に於ける神殿の設置など、強制と誤解のおそれのあることを奨励しない。
(2)神社に対する国庫供進金等の廃止、神祇院の廃止。
(3)神宮及び官弊大社、皇室祭事を宮内省で管轄し、政府と分離する方法を探し、神宮神社に参拝する個人・団体は自由とする。
(4)神宮神社を崇敬する個人・団体は自由に組織することができ、その場合の管理は宗教団体と同様に文部省が管理する。
姉崎の「神社神道問題対策」は、国家神道の宗教性には議論があるとしつつも、政府による神道の保護と強制制を取り除く。そして、個人の信仰の自由を尊重することに焦点をあてていた。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・憲法調査会事務局「政教分離の指令と神宮及び皇室」昭和37年6月、簿冊番号:憲00140101、国立公文書館蔵
・岸本英夫「嵐の中の神社神道」新宗連調査室編『戦後宗教回想録』(PL出版会、1963年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。