金子堅太郎
小村寿太郎とはどのような人物だったのか。
小村はハーバード大を出ておりますが、同じ寮で同室だった男に金子堅太郎という人物がおりました。この男は抜群に社交上手で、英語の演説もアメリカ人が聞き惚れるほどだったようです。
金子は伊藤博文の懐刀で、ワシントンやニューヨークに行き、アメリカの裕福な大物たちを日本に引き入れようと説得を試みておりました。一方、小村にその役が回ってくることはありませんでした。彼は金子と比べて才能に乏しく、英語も上手ではなかったのです。社交や交渉がどれだけ大切なのか。それを経験せずに外交官となってしまったのです。
そんな彼にとって、ポーツマスでの講和交渉は絶対に譲歩できない大きな舞台だったと思われます。ところが、セルゲイ・ヴィッテの交渉術や演説に圧倒され、ロシアに侮辱された状態で帰ってきました。そんな彼を待っていたのが「桂・ハリマン協定」だったわけです。小村不在の中での協定です。おもしろくなかったのでしょう。協定は無惨にも破棄されました。
政治の中の感動
政治家の器というのは極めて重要です。小村はおそらく「武士道」のこともよく分かっていなかったのではないか。なぜセオドア・ルーズベルトが割り込んできたのか。その意味するところを理解出来なかったのでしょう。
現在の日本でも政治的・外交的愚行が続いております。すでに戦後70年が経ちましたが、日本政府のやっていることに私たちは感動したことがありません。「日本はすごい」と思われたことも数えるくらいしかないでしょう。
私がここでいう感動とは無形の、つまりは目に見えないものです。心で感じ合える、あの感動です。今の日本に一番欠けているのは「感動」ではないか、と私は思うのです。
日本の行方
日本外交を語る中で「武士道」という言葉なんてもう出てこないでしょう。しかし、日本国民はその精神の中に、そして文化的遺伝子の中に、「武士道」の心をしっかりと持っておられます。そんなに簡単に忘れるわけもありません。
しかしあれだけ多くの政治家がおられて、誰か一人でも勇気のある人はいないのでしょうか。今、日本ではトランプさんの悪口ばかり聞こえてきますが、国民と約束したことをあの男は一つずつ達成しております。
世論からの評価は最低でしたが、今ではすでにオバマ前大統領をはるかに超えています。法人税の大幅減税など誰も出来ないと考えられていましたが、それも断行しました。それによってどれだけ国民が潤うか。皆さん、感動しておりました。
日本では消費税のことも、所得税のことも、長く議論されておりますが、抜本的な改革は何も行われておりません。本当の勇気を持った政治家は日本にいないのでしょうか。
西鋭夫のフーヴァーレポート
武士道と外交(2018年2月下旬号)-7
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。