独立宣言
「フランス、弱い」を目の前で見たベトナムの愛国者たちは、「ベトミン」と名づけられた独立推進部隊を結成し、自尊心の回復を目指し軍事行為に打って出た。
ベトナムを占領した日本軍も侵略軍と見なされ、ベトミンの攻撃を受ける。中国の毛沢東はベトミンに物資と武器を供給した。CIAの前身であるアメリカの実戦スパイ部隊OSSもベトミンを支援した。
1945(昭和20)年の夏(8月15日)、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)で完全に負け、無条件降伏をした。
9月2日、ベトミンの偉大なるリーダー、ホー・チミン(56歳)は、ベトナム国民に支えられ「ベトナム独立」を宣言する。
「フランスよ、戻ってくるな」の警告だ。
米国の態度
ホー・チミンは米大統領トルーマンに数度手紙を書き、「ベトナム」を独立国として承認し、経済復興の支援をして欲しいと願い出た。
独立戦争を戦ったアメリカ人はベトナム人の想いが分かってくれると期待したのだ。
トルーマンから返事なし。
ホー・チミン
1890年生まれのホー・チミンは、英国、米国、フランスで日常生活を体験した当時の国際人であった。
30歳の時、フランスで「フランス共産党」の設立者の1人となり、その後、モスクワに移住したが、ナチス・ドイツがヨーロッパを戦火に巻き込んだ直後ベトナムに帰国し、対フランス独立戦争を開始した。
日本軍がインドシナに攻め込んでフランスを破ったのはこの時である。
しかし、第2次世界大戦の勝利に便乗したフランスは、自らを強力な戦勝国と思い込み、フランス領インドシナへ甘い汁を吸いに戻って来た。だが、苦汁をなめさせられる。
ドゴール大統領は、インドシナは「フランス帝国の宝である」と発言し、「ベトナムを絶対に独立させない」と言い切った。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。