願書との格闘

by 西 鋭夫 August 28th, 2017

タイプライター


英語の「プリントで記入」は読みやすいようにブロック体・活字体で書きなさい、という意味。そのようなことなぞ想像もつかなかったので、触ったこともないタイプライターの打ち方を自分で学んだ。

タイプ専門学校もあったほど、タイプライターを使える人は少なかった。タイプが打てれば食えた時代だ。

使ったタイプライターは、かつて世界市場を独占していたアンダーウッド社の鉄製で、重さは30キロほどもある。バチン、バチンと人差指で強く打つと願書の紙に文字の型が食い込み、穴があいたように破れた。

頑張るほど涙が出そうになる時があるのだと開眼した。


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成績


「学部四年間の成績を提出せよ」と願書に書いてあった。「優」「良」「可」でついていた成績を、アメリカ式の「A=4.0」「B=3.0」「C=2.0」にしなければならない。

関西学院の文学部事務室ではそのような換算はしていなかったので、自分で計算して4年間の平均点を出した。計算を間違えたのか、高い得点になった。最後にローマ字で署名し、各校へ送った。


1960年代の就職事情


3ヵ月待っても、返事はない。友人たちはとうに就職が内定しており、卒業式まで遊ぶぞという強い決心を顔にあらわにしていた。日本は高度成長期の真っ最中であり、4年生は全員2、3社から内定をもらっていた。

英語なぞできなくても、自分の名前を漢字で書ければ、就職できた。半分本当の話である。

私が大学に入学した1960年の大学進学率は、短大を含めても僅か10.3%である。男が14.9%で、女が5.5%。ちなみに、中学から高校への進学率は57.7%。中学を出た16歳で、すぐに就職した者たちが多くいた時代である(『完結昭和国勢総覧・第3巻』1991年)。


留学までの過ごし方


3月上旬の卒業式で大学生活が終わり、友人たちはスーツとネクタイで身をかため、日本経済の戦士へと変身してゆく。

顔つきまで凜々しく「大人っぽく」なっていった。

私は「留学」とあちこちで吹聴していたのだが、どこへも行けない。

辞書丸暗記に集中しようと努力はしていたが、良家のお嬢様たちとのデートに一生懸命になってしまっていた。

「留学」なぞとほざいている者が1人もいなかったので、私だけが取り残されたという孤独感に襲われる日もあり、一層デートに熱が入った。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第1章「遊学1964年」-3



この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。