マッカーサーの焦り
12月1日、焦りが募ったのか、マッカーサーは、中国の国境を越え、中国本土にいる共産主義者を攻撃することを禁止したアメリカ政府の命令は、「軍史の中で前例のない極めて大きな障碍となっており、それが解除されない限り、勝つことはできない」と断言し、トルーマン大統領を非難した。
これは、中国との戦争を避けようと苦心していたトルーマン大統領に、公然と反対したものであった。
朝鮮を「局地戦」に留めようとしているトルーマンに難しい問題を齎した。
統合参謀本部の動き
12月6日、心配した統合参謀本部(ブラッドレー議長)は、マッカーサーに黙っているようにと忠告し、もし言わなければならないことがあるのなら、国防省(マーシャル長官)かアチソン国務長官を通すように、と伝えた。
同本部は、大統領が「公の声明には最大限の注意を払うよう」望んでおられると警告し、さらにアメリカ国内で発行されている新聞、雑誌等に軍事、外交政策についての寄稿をしないようにと忠告した。
マッカーサーは沈黙を守り、敵からソウルを奪還するため猛然と戦った。
12月29日、統合参謀本部は、彼に「入手できる全ての情報から判断して、中国の共産主義者は、韓国から国連軍を追い払う能力を有している」と伝えた。
ソウル奪還
それにも拘らず、マッカーサーは、1951年3月7日、ソウル奪還に成功した。
この日、勝利に酔っていたのか、彼は再び、アメリカ政府が自分の最善の戦略、中国本土を徹底的に攻撃することを禁じている限り、戦争に終わりはなく、軍事的行き詰まりは続くと述べた。
また、トルーマンを公然と非難している。
マッカーサーの暴走
1951年3月20日、統合参謀本部はマッカーサーに、トルーマン大統領には「敵と停戦を話し合う用意がある」との声明を発表される予定であると告げた。
4日後の3月24日、統合参謀本部は、再び彼に「これ以後、あなたの声明は、ワシントンと調整して行なうよう」忠告した。
同日、トルーマンは、マッカーサーに「共産側の軍指導者が戦地で停戦を求めてきたら、その事実をすぐ統合参謀本部に報告して、指示を待て」と命令を出した。
その同日、マッカーサーは、大統領命令の「指令を待て」に挑戦するかのように、
「韓国において国連の政治目的の実現のために、流血なしに達成されうるという方法が見つかるのであれば、私は、敵の最高司令官と戦地でいつでも真剣に話し合う用意がある」
と発言した。
国務省は、マッカーサーの声明は「現地司令官の責務を越えたもの」と公表した。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。