トルーマン vs. 毛
1950年の初めから、アメリカと毛沢東中国の緊迫した関係は、日増しに悪化していった。
毛沢東は、トルーマンに威しをかけるつもりだったのか、北京駐在のアメリカ領事を人質にとった。1月14日、トルーマンは、中国全土からアメリカ領事館職員全員を本国へ召還した。
そして次に、トルーマンは、毛沢東にアメリカの力を見せる。1月31日、トルーマンは、水素爆弾を製造せよと命令を出す。
極秘会議
同年4月24日、極秘会議が国防省(ペンタゴン)と国務省の間で開かれた(国務省の極秘会議録から引用する)。
国防省(ペンタゴン)の主張は次のようなものだった。
⑴ 「平和条約は、ソ連と中国の事実上の政府、毛沢東政権を含まねばならない」
⑵ 「日本はアメリカ軍が留まることを認めなければならない」
⑶ 「国務省がソ連と共産中国からアメリカ軍日本駐留につき同意を取れないのなら、平和条約は、時期が早すぎる」
国務省からの反論
国務省は、国防省の主張は達成不可能であると反撃した。アチソン国務長官は、日本独立に関して差し迫った問題が二件ある、と言った。
⑴ 「日本の侵略行為が復活することを予防すること。特にオーストラリアとフィリピンが強い警戒心を示している」
⑵ 「武装解除した日本にソ連が侵略するのを防ぐこと」
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。