東大総長の大喧嘩

by 西 鋭夫 February 26th, 2017

単独講和か全面講和か


吉田茂内閣と大学当局は、大学校内での共産主義者を押さえ込むことでは同じ考えを持っていたが、レッド・パージについては、真っ向から対立していた。

劇的な亀裂は、1950年5月、朝鮮戦争の前、イールズが全国で講演している最中に起こった。吉田首相と東京大学南原総長が、名指しの大喧嘩を始めた。

吉田は「ワンマン」として知られており、それを誇りにしていた。吉田は、「単独講和」という、アメリカ陣営の国々だけとの平和条約を強く推し進めていた。毛沢東の中国やスターリンのソ連とは平和条約なぞなくとも、アメリカと組めば安全であると考えていた。

政治学者南原は、吉田の強引なアメリカ一辺倒を公に批判し、ソ連や中国を含む「全面講和条約」と占領後の日本の完全中立を提唱した。彼の見解は、共産党の政策と同じだった。



共学阿世


吉田首相は、南原の公然たる「吉田批判」は、共産主義者を支持するもので、非日本的だと受け止めた。

1950年5月3日、自由党両院議員秘密総会で、吉田は「南原総長の全面講和の主張は曲学阿世の徒の言葉にほかならぬ」と言った。扉がきちんと閉まっていなかったのか、彼の言ったことが新聞に漏れた。

「曲学阿世」とは、己の学問を曲げて世の流れに諂うこと。



南原声明


憤慨した南原は、反撃に出る。5月6日午後3時に記者会見し、吉田のやり方を、満洲事変以来「軍部とその一派」がやったのと全く同じだ、と決めつけた。

「それは学問の冒涜、学者に対する権力的強圧以外のなにものでもない」

「現実を知らぬ学者の〝空論〟であるというが、国際の現実は政府関係者だけが知っているとなすは、官僚的独善といわねばならぬ」

「全面講和や永久中立論を封じ去ろうとするところに、日本の民主政治の危機の問題があるといえよう」

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南原繁


同日、全学連中央執行委員会は、南原声明を支持すると発表した。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。