第11章の解釈
1948年9月、『民主主義』の原稿がGHQ部内で回覧された。
好評だったが、強力なホイットニー民政局長は、第11章「民主主義と独裁主義」の中に、マッカーサー元帥の指令33号に違反するかもしれない個所があるので、それを除けば、「異議はない」と言った。
指令33号は、新聞条例(プレス・コード)であり、それは日本のマスコミが連合国についていかなる破壊的な批判もしてはならない、と命じていた。
冷戦は、ヨーロッパ、アジア、日本においても、既に激化の一途を辿っていたので、第11章は一行も取り除かれなかった。
『民主主義』刊行
文部省は、ベル博士の指導を受け、2カ年以上の時間を費やして作成された『民主主義』を1948年10月30日、中学社会科教科書として発行した。
『民主主義』は上・下2巻からなる。英語のオリジナル・タイトルは、Primer of Democracy。
アメリカ軍機関紙『スターズ・アンド・ストライプス』は、『民主主義』を最上級の言葉で誉め称えた。
「これは、他のいかなる出版物よりも一つの課題について最も詳しく書かれてあり、最も完璧で、最も正確で、最も客観的な本である。これを読めば、日本人は、民主主義についての全てを理解でき、民主主義を実践することができるであろう」。
反発
ソ連のボスたちから「資金」をもらっていた日本共産党は、寝耳に水の『民主主義』に猛反発をする。
『民主主義』は、学校教育の政治的中立を侵し、教育基本法第8条に違反する、と攻撃した。
日本共産党は、『アカハタ』で、この重大事件は「対日理事会」に報告されなければならない、との声明を出した。
この理事会では、アメリカとソ連は、天敵のように目が合っただけで、喧嘩をしていた。マッカーサーが単なる「討論会」と無視していたのが、この対日理事会だ。
米の反撃
民間情報教育局長ニュージェントは、民政局長ホイットニーに「アメリカは、そうした機会を期待して待っている」と語った。
また、『アカハタ』の編集者たちは、『民主主義』の作成に携わった日本人の責任者たちは起訴されるべきである、と断言した。
ニュージェントは、「起訴される可能性はない」とホイットニー局長に言った。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。